ひと月が過ぎた。
 手足の症状には改善が見られ、何とか自力で身体を起こし、伝い歩きなら多少の距離を移動することも出来るようになってきている。
 しかしながら、記憶に関連しては、その留めていられる時間がほんの僅か延びただけで殆ど変化がなかった。
 付き合い切れはしない。しかし、セイラやリィナの疲弊を思っては、アムロが側に付いていないわけにはいかなかった。
 アムロのことだけは覚えていられるなら、尚のこと。

「アムロ!」
「ブライト!? 何で、ここに、」
「セイラが知らせてくれた。随分遠回りをしたようだから、遅くなってしまったが…………よく……生きて…………」
 たった数ヶ月離れていただけだというのに、ひどく懐かしい気のする顔に見詰められ、アムロは言葉を失った。

 この数年では、すっかり側にいるのが当たり前になっていた。離れてここで過ごし、また顔を見たことでその大切さがしみじみと感ぜられる。
 セイラが呼んでくれたのだ。疲弊していくアムロを見るに見かねて。
 伏せられていたのは、やはりいろいろと柵もあるからだろう。表向きにはやはり、ただブライトがセイラを……旧友を訪ねただけと言う事になっている筈だ。

 込み上げるものがあって、アムロはつい顔を伏せた。
 その肩がそっと支えられる。目の前に来たブライトに、アムロは額を押し付けた。
「……お前は、死ななくていいんだぞ」
「……分かってる」
 ここへ来るまでに散々シミュレートした気で居た。しかし、アムロを目の前にしては咄嗟に気の利いた言葉が出て来ない。
 死ぬ覚悟で戦った後まで未だシャアに付き合わされていることを、ブライトにはどんな言葉をかけてやるにも不適切に思える。
 ただ、アムロの意志に反してここに居るなら、そうまで付き合ってやる必要はない。アムロはもう十分過ぎる程シャアに振り回されてきた。
「お前は、自由なんだからな」
「ああ…………」
「お前一人があの男に付き合う必要はないんだぞ。辞表なら、いつでも受理してやる」
「ブライトだって」
「俺は……父親役だったんだ」
「ブライトの方が年下だろ」
「そういう、どうしようもない男だったからな」
 本当に、誰からも愛されているものだ。冷たい口を利かれながらも、誰もが皆シャアを愛し、案じている。
 シャアだけがそれを分かっていない。

「お前には、生きて帰れる場所がある。それだけは、忘れるな」
「ああ。……感謝してるよ。そうだな……俺は、身軽に動けた方がいいのかもな。ただの、退役軍人として」
 シャアが動ける身体になったところで、彼に自由はない。
 地球で暮らすなら尚のことだ。
「……シャアは、生きているわけにはいかないからな。側にいたいんだろう?」
「さっさと離れたいよ。あんな奴。……死ねばよかったんだ、本当に」
「重体だったと聞いたが……もういいのか」
「まだ動くのは難しい。だけど、口だけはもう完全に戻ってしまってる。鬱陶しいことこの上ない」
「そうか……」
 微かな安堵を現したブライトに、アムロはぐりぐりと更に強く額を押し付ける。
 ブライトは引き離すではなくアムロの頭に手を置いた。

「ブライトが父親か……シャアってそこまで家庭に飢えてたのか?」
「どうだろうな。グリプス戦役の最中には、そのように見えたが」
「父親か……ブライトなら、覚えているかな」
「?」
 ブライトから離れつつも、その手を取り軽く引く。
「来てよ。子供なら、ブライトだって会いたいだろ」
「ハサウェイより大きな子供なんぞ、本当は要らないんだがな」
 散々に甘えられ頃を思い出す。あの頃側に居た実年齢子供だった者達より一層質の悪い、酷い甘えん坊だった。
「戦艦に乗り込んだ瞬間からお父さんだものな。同情はしてるよ」
 アムロにだけは言われたくない。咄嗟に一年戦争の頃の記憶がまざまざと蘇り、ブライトは眉を顰めた。
「一番手の掛かる子供が、何を言うか」
「親父の手伝いが出来るくらいには大人になったろ」
「初めからお前には守られ通しだったがな」
「それを増長だって、殴ったくせに」
「いい薬だったろうが。……それで」
 促すと漸くアムロは顔を上げた。
 目元は微かに赤くなっている気がしたが、泣いてはいない。
 アムロはそのままブライトの片手を取って引っ張った。
「シャアの部屋は上だ。ついて来て」

 建物を三階まで上がり、一番奥の変哲もないドアの前に立つ。
 アムロは厳しい表情でドアを睨んでいた。

「シャアはここだ。じゃあ、俺、下にいるから」
「お前は一緒に行かないのか」
 手を解き踵を返す。
 ブライトは理解しつつも確かめた。
 アムロは振り向かない。
「今日はもう、一回会ったから」
「ふぅ…………分かった。帰りにまた」
「ああ。さっさと切り上げて来いよ。近くに行きつけのバーがあるんだ。久しぶりなんだし、一杯やろう」
「分かった。だがお前も、まだ完全じゃないんだろう?」
「何杯か飲むくらい大丈夫だよ。……じゃ」

 軽くドアを叩く。
「どうぞ」
 一つ大きく深呼吸をして、ブライトはドアを開けた。
「失礼する」
 ベッドの周りのカーテンは開かれ、向こうの窓まで見通せる。
 寝ていた男は、ブライトの声を聞くなり息を呑んだ。
「!……君は…………まさか」
「……旧交を温めに来たのではないが…………具合はどうだ」
 シャアは飛び起きようとしたが、身体が付いて行かない。ゆっくりと、だが必死に起き上がろうとするのを制し、ブライトはベッドに歩み寄った。

 傍らに立ち、横たわる男を見下ろす。
 こうして直接に顔を見るのは何年ぶりだろう。
 グリプス戦役の末に姿を消して以来、幾度かディスプレイを通して話をしたことはあるが、それだけだ。
 あの頃には散々甘えられた。そして、散々に甘やかせた。顔は多少老けたが、それはお互い様だ。
 それより、表情はあの頃より幾分すっきりとして落ち着いている。
「ああ……久しぶりだ。私を捕らえに来たのか?」
「そうすれば私は勲章の一つでも貰った上に2階級ほど特進出来るだろうな」
「少将殿か。それは凄いな」
「……冗談ではないんだが」
「ほう……本当に私を突き出すのか?」
「それが私の仕事だ」
「そうか。……そうだな。今の私は思うような抵抗など出来ない。君やアムロが望むなら、それも仕方のないことだろう」
 青い瞳が微笑んだ。

 ブライトは眉を顰め、ベッドの脇にある椅子に腰掛ける。
「相変わらずだな、貴方は。諦めがよいのだか、悪いのだか分からん」
「悪いのだろうよ。かなり。……アムロのことに関してだけは」
「アムロにはいい迷惑だ」
「父親の許可を先に取るべきだったか?」
「子供は二人で十分だ」
「アムロは私を殺さないでいてくれる。それが彼にとってどれ程の苦痛か、分かっていても……彼へ想いを伝えることを止められない」
「アムロも分かっている。貴方を殺せない自分に迷っているが……いずれ結論を出すだろう。あいつは、思い切れば早いから」
「殺してくれるのなら、それで構わないのだがな、私は。そうすれば、アムロの記憶を持ったまま死ねる」
 シャアの現状については、アムロに合う前にセイラから聞いた。
 アムロの事だけ覚えている……というのは、シャアにとってのみ喜ばしい状況だろう。アムロはその為に疲弊していると思われる。
 恐らくは、拒絶しきれない自分に嫌気が差して。

「それで……この現状と、これからのことについて、アムロは、何と」
「彼は……アルテイシアを逃げにしている。可愛らしい逃げ口上だよ。ここに来るのはアルテイシアの為だけであって、私は関わりがないのだと言っていた。そして、私にだけ優しくないのだそうだ。私にだけ……素晴らしい響きだろう?」
 頭痛がし、ブライトは思わずこめかみに手を当てた。
 実にお目出度い男だ。
 付き合わされるアムロが不憫で仕方がなくなる。
「それに、殺してくれるとも言っていた。だから私は……待っているのだがね」
「殺されたいのか?」
「いや……どうだろうな。殺されたくはある。しかし、殺させたくはないかもしれない」
「私は出来る限り……アムロに人殺しをさせたくなかった」
 苦渋に満ちた言葉に、シャアは少し大きく目を見開いた。アムロはブライトの下で戦い続けてきた筈だ。それは、意外な言葉に聞こえたが、ブライトの性格を考えれば直ぐに納得がいく。
「……ともあれ、君も相変わらずのようで何よりだ」
「貴方のお陰で老け込む暇もなかったからな」
 久々の軽口にシャアは吹出す。アムロとの会話とはまた違った、洒脱な空気があった。
 これだからブライトのことは気に入っているのだ。心地がいい。
「本当に変わっていない。嬉しいものだな。……戦っている時には、君はやはり敵に回したくないと思ったよ。君が指揮を取る隊には勝てない。君とアムロが組むと尚更だ」
「結果については認識しているのか」
「ああ。……記憶が続かないといっても、判断力が衰えているわけではない。私がベッドにいる。君やアムロが私の見舞いに来る。これだけで、状況を理解するには十分だろう? アムロのことだけは、目が覚めてからの全てを覚えているしな」
「アムロは忘れてくれと言っていたぞ」
「可愛らしいな、アムロは」
 実に幸せそうな微笑を浮かべる。ブライトは複雑すぎる心持ちになってただ眉を顰めた。
 シャアの、これほど嬉しそうな顔は初めて見る。グリプス戦役の頃には、ほぼ一年を通して同じ戦艦で過ごしていたというのに、笑顔というものは厭世的な微笑か皮肉めいた苦笑冷笑の類しか見ては来なかった。
 アムロという存在の大きさを、厭でも見せ付けられる。アムロの苦労も慮れようというものだった。
「ほどほどにしておいてくれ。アムロが切れたら手に負えんぞ」
「その時には殺してくれるかな」
「いや、恐らく……貴方にとって出来る限り望ましくない手段を取ろうとするだろうな」
「望ましくない……それは、何だろうな」
 殺される事をシャアが望むなら、それは叶えられないという事だろう。小さく首を傾げる。
 本気の殺し合いまで体験済みともなれば、それ以上など早々思い浮かばない。
「私は、アムロの行動なら全て許容できると思うが。彼ならその予想を裏切ってくれるだろうか」
「一年戦争の真っ最中に、地上で、ガンダムを持って家出した男だぞ、あれは。本当に思いきったら何をしでかすか予測がつかん」
「……それは凄いな。そのままジオンに来てくれれば良かったのに。ああ……私が拾いに行けばよかった」
「お陰で砂漠の真ん中で白兵戦だ。全く……あの頃を振り返ると愚痴しか出て来ないな」
「楽しそうだな。身を窶して潜り込めばよかった。そうしたら、あの頃の素晴らしく愛らしいアムロを拝めたのだろうに」
「ただのむかつくガキだったぞ」
「君にそうまで言わせるとはな」
「散々子供の居る艦の世話をしてきたが……一番厄介だったのがアムロだ。私も未だ若かったし、そもそも大人が殆ど居なかったからというのもあるだろうが」
「……もっと早くいろいろ聞いておきたかったな。グリプス戦役の頃には、こんな話をする余裕もなかったが。勿体ない日々だった」
「貴方とアムロの繋がりなど、戦いの上の事しか知らなかったからな……一年戦争の頃やグリプス戦役後に生身で会ったことがあることさえ知らなかった」
「わざわざ仲間内に伝えるほどのことではない。もし言うならば……全宇宙の回線を通じ、全人類に告知する。アムロは私だけのものだとな」
「…………それだけは止めてやってくれ…………」
 ブライトは疲れ果ててがっくりと肩を落とした。何処まで本気なのか分からない。
 この、再び見えてからの時間の中で、この男は何度アムロの名を口にしただろう。そして、その度に何度幸せそうに頬を緩ませただろう。
 こんな男だったろうか。もっと、外面を気にして斜に構えている男ではなかったか。そしてそれを厭い、限られた人間へのみ秘された表情を見せる人間ではなかったか。

 ブライトの戸惑いにも気付かぬ様子で、更にアムロのことを口にする。
「なあ、君なら分かるか? アムロは、私を選んでくれているのだろうか」
「たとえ艦隊が動かなくても、アムロは貴方を追っただろう。それを『選んだ』と言えるなら、そうなのだろうな」
「君はどうだ。私の為に動いてくれたのか?」
「貴方の為? まさか。貴方は、私の家族が何処に住んでいるか、知らないではないだろう。家族の為に、私は貴方を止めたかった」
 それが無論第一ではあった。だから、嘘は言っていない。
 家族だけではない。地球連邦軍に所属している限り、地球に害をなすものがあるなら戦うしかない。
「家族が地球におらず、軍人でもなかったら君は……戦わなかったかな」
 ブライトの考えていることは、シャアには筒抜けになっていた。敵として戦えば化かし合いの様を呈するが、プライベートでのブライトはシャアを相手に分が悪い。どれだけ年を経ても、シャア程腹芸は得意ではなかった。
「私を止めには来てくれなかったか?」
「……止めて欲しいなら、初めからやめておけ」
「アムロにも、同じ様に言われたな。……しかし、事を起こさなければ止めに来てくれないだろう。それに……私が起つ事を望む人々がいた」
「貴方はそれだけの人ではないでしょう。人々の望みだけで立ち上がる程、自分を安く売ったりはしない筈だ。止めに来て欲しいと、人々に望まれていたと……貴方自身の思想はどうしたんです」
「思想か。……思想とは、他人と共有する夢だ。自らの夢の中に他人を引き込むための装置だよ。その共有された夢の中で、人々は私が起つ事を望んだ。父の作った思想は美しい夢だった。多くの人が熱狂し、未だ覚める事を知らない。私も同じことだ。父の夢に囚われているのだろう」

 同じ夢をシャアも見ていた。ただ、違う視点で。夢から覚める選択もシャアには出来ただろう。しかし、シャアはそれを望まなかった。
 夢や希望は大衆へ語ることにより思想となる。そうして共有されたものを具現化するための装置がシャア自身なのだ。それを自覚しているからこそ、起ってしまった。ジオン・ダイクンだけではなく、シャア自身も夢を見、その中へ人々を引き込んだ。
 だから……起たざるを得なかったのだろう。その贖罪の為に。
 個人としてのシャアの存在は、そこにはなかった。

「アムロに会いたかったのなら、貴方はもっと別の手段を取るべきだった」
 共に戦った頃のように、甘え、縋ってきたのなら受け入れてもやっただろうに。
「会いたかっただけではないよ。戦いたかったのだ。そう思えば、これが最良だった」
「殺し合いをしたい相手に、会いたいとはな」
「殺し合い? 面白いことを言う。それは戦いと等号で結ばれるものではない」
「しかし貴方は、異なる手段を取らなかった。殺し合いを望んだのは貴方だ、シャア。アムロに、人殺しをさせるつもりだったんだ、貴方は。……貴方がアムロに望んだのは、戦争の中の死ではない。貴方は、アムロに、敵ではなく個人を殺すよう、期待したんだ。それで、会いたいだなどと、どの口で言う」
 責めてもこの男は理解できないだろう。しかし、それでも言わねばあまりにアムロが可哀想だ。
 シャアの言うようなものを、どうして愛だと認めることなど出来るだろう。シャアにあったのは、自己愛だけだ。本当に愛しているというなら、その相手に何故人殺しなどさせることが出来るというのか。
 シャアは愚かだ。身勝手で、自己中心的で、そんなところばかり何一つ変わっていない。どうしようもない男だ。
「戦いたいだけなら、他に幾らでもあっただろう。戦争でも、殺し合いでもない、別の手が」
「それでは、アムロが本気になってくれない」
「はっ」
 呆れ返り、思わず息を吐く。
 どこまで傲慢な男だというのだろう。
「貴方は、我侭が過ぎる。何処かで譲歩すべきだ。アムロは貴方の玩具ではないし、僕でもないのだからな」
「私は、私と対等である人間を求めてきた。だが私の周りにはなかなかそういったものがいなかった。だから、アムロや君は、私にとって何より得がたい存在なのだと思う。……アムロが来てくれて、本当に嬉しかったのだよ。私の為に動いてくれた。私を止める為に」
 自分は人類の為に動き続けてきたつもりでいる。しかし、本当に自分の為に動いてくれた人が、今までに一体何人いただろう。
 象徴としてのシャア・アズナブルではなく、一個人としてのシャアの為に、一体誰が力を尽くしてくれただろう。
 心の底から嬉しそうな……ひどく柔らかい笑みを浮かべたシャアに、ブライトは言葉を失った。卑小な男だと言う事は知っていたが、そんな小さな物事に喜びを見出されると、これ以上罵るつもりにもなれない。

「全てを終わらせたかったのだよ。血の歴史を……人類は、有史以来、血で血を洗う歴史を繰り返し紡いで来た。宇宙に出てもそれは変わらなかった。全てをリセットしてしまわなければ、その連鎖は断ち切れまい」
「人類の行く末を憂えたということか」
「違うな。血の連鎖を断ち切りたい理由は、民衆などではない」
 そう言われれば、浮かぶものはただ一つしかない。
「…………アムロか」
「笑ってくれるなよ。アムロは、全人類にとって掛け替えのない、新たなる進むべき標だ。NTが戦いの為の道具となることを、アムロが示したが、そのアムロは決して戦いを好む性質ではない。なぜなら、真のNT同士であれば、戦う前に勝負は決する。無駄に争う必要もなくなる。無論、お互いを理解できても、戦わねばならない場合もあるだろう、しかし、それは、精神世界の争いで済むことなのだ。アムロがその為に立ち上がったなら、私は動かなかったかもしれない。しかし、アムロは動けなかった。悲しむべきことに、彼には政治力がなかったから。アムロが全てを持ち合わせていたなら、ハマーンのように立ち上がったことだろう。彼女より、いっそう優れた手段と手腕で、NTが戦いの道具となるだけではないことを示すことが出来ただろう。しかし、彼は持ち合わせていなかった。……私には、彼ほどの力はない。しかし、彼を補えるだけの政治力と世人に訴えかける力を持った血があった。だから、起ったのだ。私達が手を取り合えていたなら、今回の一連は成功していた筈だよ。だが、アムロは私の手段を認めなかった」
「アムロが戦いを好まないことを知っていながら、貴方が手段を間違えたのだ。貴方には力があるが、その力を武力に振り過ぎている。そのことが何よりアムロを貴方から遠ざけているんだ。貴方が戦いを起こしたことでアムロにあった利点など、νガンダムを作らせてやれたことだけなんだからな」
「あれは本当にいい機体だったな。サイコフレームも見事に使いこなしていた。さすがアムロだ」
「当たり前だ。基本設計の段階からどれだけ口を出したと思っている。しまいにはアナハイムから私が泣きつかれる有様だったぞ。……しかも、貴方の動きが性急だったから、ロールアウトはぎりぎりだった。アムロとしてはもう少し心行くまで詰めたかったに違いない」
 フィン・ファンネルは左右一対になる予定だったものが、片方しか間に合わなかった。出所の知れない……結局この男がアムロの為に提供したものだとは分かったが……予定外のサイコフレームを使うことにもなった。
 せめて、後もうひと月あれば、もう少しアムロを満足させるものが出来たかも知れないというのに。
「アムロによく似合う、美しいMSだった。もしかして、ネオ・ジオンで心行くまで理想の機体を追求していいとでも持ちかけたら、アムロは乗ってくれたかな」
「人殺しを前提としてなど協力できないだろう。それよりは、金に糸目をつけずハロの機能強化をしていいだとか、そんな方が喜びそうだ。ハロはアムロにとって数少ない親友だから」
「寂しいな」
「何を言う。貴方に友人があるのか?」
「君はいい友人だと思っていたのだがな」
「私が?」
「違ったかな。私と君は、対等な友人であると思っていたのだが」
「……貴方がそう認めるなら、そうだったかもしれないが」
「少なくとも、ただの同僚だとか、上官と部下だとか……かつてにもそんな関係ではなかった筈だろう?」
 そうは言っても、友人とはあまりに遠い気がする。
 シャアにはしかし、分からないのだろう。友人というものを、生まれてこの方持ったことがあるのか、それすら疑わしい男だ。

 ブライトにも友人の幾人かは勿論いる。そう幅広いわけではないし、職場にはほとんどいないが、士官学校時代の同期だとか、その前の子供時代からの友人だとていないわけではない。
 シャアには、そんな存在があるのだろうか。腹を割って話せる相手だとか、単なる馬鹿をするだけの相手だとか。
 シャアには必要のないものかもしれないが、ブライトにはある程度の友人づきあいは大切なものだと思っている。気の置けない相手というものは、自分の精神生活においてそれなりに大きい。

「君が友人ではないとすると、何になるのかな」
「嘗ての同僚で、つい先ごろまで敵だった、それだけだ」
「君はとても優しかった。誰に対してもああだったのか?」
「それは、貴方が甘えて来たからでしょう」
「君が甘えさせてくれたからだ。私をあれほど甘やかせてくれた男は、君とあと一人しかいないな」
「女性は甘やかせてくれるでしょう。女性は貴方のような男が甘えてくるのに弱い」
「その分、過分な要求をしてくる。面倒だ。見返りを求めない女性がいたなら、それは素晴らしいことだと思うが」
 女性を好み、常に誰かしらを侍らせているイメージはあるが、実際の所は女に対してひどく高い理想を押しつける為に期待と幻滅を繰り返し、結局絶望を隠せぬままに女に対する興味を失っている。
 母のように、全てを持っている女性でなければならない。美しく、聡明で、優しく、しかし芯が強く、また身を弁えて出過ぎない。
 そんな男にとって大変に都合のいい女など、実際にはそうそうお目にかかれるものではなかった。

「ブライト、アムロはこれから……どうするつもりなのか、聞いていないか」
 女などいらない。望むのは、アムロと、その傍らにいるであろう亡き少女だけだ。
「聞いていない。俺が聞けることでもないだろう。軍を辞めることを勧めてはみたがな。……貴方が表舞台から消えた今、絶好の機会の筈だ。機関もそろそろ手放してくれるだろう。丁度俺の部下でいることだし、辞表を受理してやりたい。アムロを組み込んだのは、俺なんだしな」
「このまま数年経てば死亡処理になる。そういう道もあるだろう」
「貴方と違って、アムロは自分の名を失う必要はない」
 見知らぬ土地に堕ち、療養をして動けず連絡が取れなかった、とでも言えば、アムロはいつでも陽の当たる所へ戻れる。その上でどうにか穏便な手段を取ることも、今のアムロにならばできる筈だ。
 その上でアムロがシャアと生きることを選ぶなら、それはブライトに口を出せることではない。
 本音を言うなら、シャアの存在が表沙汰になれば必ず巻き込まれてしまうと分かっていて、アムロをシャアの側に居させたくはないが。
 それでも、アムロが望み、シャアが望むなら、仕方のない事だ。
 シャアがこれ程穏やかな様子を見せるのなら、そう思うしかなかった。
「貴方は、どうするつもりなんです」
「今の私に、それ程多くのことが望めるとは思わない。アムロのことしか覚えていられないのに。だから……その、アムロの側にさえいられたなら、それでいい。それ以上に望むことなど、最早何一つない。ああ…………こういうのはどうだろう。私が彼の戸籍に入るとか」
「貴方を背負わせるな。荷が重過ぎる」
「ふむ…………だが、男同士では、その形でなければ結婚できないだろう?」
「……はっ」
 まさかに……「結婚」などという言葉が、この男の口から出て来ようとは思わなかった。笑いとも溜息ともつかない息が洩れる。
 普段なら、これは冗談だとも思えただろう。しかし、今のこの状況では、言葉が冗談なのか本気なのかの区別もつかない。
「父親としては、承諾しかねる」
「それは、私の父親役としてか、それとも、アムロの父親役としてか」
「アムロのだ。当然だろう。貴方が誰を望もうと知ったことではないが、私の目の届く範囲の者へ手出しは許さん」
「困ったな。私はアムロが欲しい。その他の何も望まない程に。どうすれば父親の許可が下りる?」
 そう言いながら、シャアは本当に困ったように眉を顰めた。どうにも本気らしい様子が見て取れて、ブライトは一瞬切り返しに戸惑う。
 アムロには大変に気の毒なことだとは思うが、シャアが大人しくしていられるなら世界にとってこれはひどく重要なことなのかも知れない。
「…………まずはアムロを貴方自身の口で説得してみせろ。その後、貴方がジオンの全てから身を引いたという証を立てることだ。それからでなくては、交渉のテーブルに着く余地すらない」
「厳しいな……」
「これでもまだ譲歩している。そもそも、男同士だろう、貴方達は」
「性別など瑣末なことだ。問題には価しない。単なる恋人が欲しいのではない。私はただ……生涯を賭けられる存在と離れぬ為の、書類上の繋がりを欲している。勿論それは、性別以上に些細なものだ。しかし、私達の間には形あるものが何一つない。公的な書類の一つでも、目に見える証が作れるなら……それは、素晴らしいことではないだろうか」
「連邦政府の書類でいいのか? それこそ、貴方の思想の為に死んでいった者達へ、どう顔向けするつもりだ」
「私は国家の樹立を目していたわけではない。それならば、ザビ家のように独立を宣言でもしていただろう。だからと言って連邦政府を認められるわけでもないが、しかしアムロがそこに属している限り、仕方のないことだとも思える」
「貴方は、第二のザビ家になることを恐れたのか」
「違うな。……コロニーが独立を宣言したところで、どうなるものでもないだろう。結果は既にザビ家が出した。宇宙空間で、一体何を生み出せる。コロニーなど、所詮地球の代用に過ぎん。水、大気、大地……全て、地球を模して、科学的に作り出せるとはいえ、それにも結局時間と金がかかる。これは、多大なる無駄だ。地球には……全てがそのままに存在しているというのに。私達のようだとは思わないか。アムロや君は、生まれたまま……ありのままに生きている。対して私は、常に虚構に塗れ、何かの代用として生きてきた。私が君達に焦がれても無理はないだろう。人は……回帰したいのだよ。産まれた場所に」
 言いたいだけ言ったのだろう。シャアは目を閉ざし、深く長い息を吐いた。
 出来ることなら、母の胎内にまで戻りたいのだ。ただ、愛されているだけで良かった頃まで。
「……私からは、アムロに何も言わない。アムロに望むことがあるなら、自分自身で言うことだ。言葉を飾らずに、真摯に、真面目に……アムロは貴方を理解していると言っていた。それは、確かなのだろう。アムロは、貴方が言うように、優れたNTなのだろうから」
 席を立つ。ここにいても、これ以上の話は出来ない。
「……また、来てくれるか」
「セイラやアムロに会いに来る。そのついでに、貴方と顔を合わせることもあるだろう」
「ああ。すまない。…………ありがとう」

「……どうだった?」
 アムロは一階の階段下で待ち構えていた。ブライトの姿を認めるなり、堪えきれず尋ねる。
 これ程に心配しているというのに、何処までも素直にならない様に僅かな苛立ちを覚える。
 シャアには自分が何を求めているのか自覚があるだけ、まだマシなのかも知れない。
「相変わらずの様だな。あの人は」
「脳味噌が停滞してるんだよ」
「そう言うな。落ち着きはした様だな」
「死ねば良かったんだよ、あんなやつ」
「じゃあ、何で殺さなかった」
「……それは…………」
 殺せた筈だ。その機会はあった。しかし、そうしなかったのはアムロだ。今更その事を責めるつもりもない。
「殺すつもりなど、お前には初めからなかった。違うか?」
「俺達は、あいつを殺す為に動いていた筈だろう?」
「違うだろう、アムロ。俺達は、あの人を止める為に動いていた筈だ」
「同じ事だ」
「同じなものか。この結果は、お前の望んだものに近いんじゃないのか?」
「シャアが死にもしないのに、そんなわけないだろう」
「シャアが死にもしないのに…………お前が生きているのに? 俺は安心して居るぞ。お前達が二人とも生きていたことに」
「そりゃあ……ブライトがいいやつだからだよ。あんなものを受け止めてやろうと出来るくらい」
「だがそれは、俺の役目じゃない」
「…………俺の仕事でもない」
「それでも、他の誰に渡すつもりもないだろう?」
 全てを理解されてしまっている。アムロは顔を歪めた。
 自分はシャアの求める何にもなれないが、ブライトは父親を務めていた。それだけでもブライトは随分優位に立っているように思える。
「やめてくれよ、お父さん」
「今となっては上手く父親役をやれていたとは思えん。それに、父親は子に乗り越えられるだけの存在だ。その次を担うことは出来ないんだぞ」
「その次?」
「生涯を共に歩む者ではないということだ。シャアは、そういうものをお前に求めているんだろう」
「俺は男だぞ」
「知っている。だが、シャアにとってそれは瑣末事なのだろう? 妻やら恋人やら……そんな枠で括れるものをあの人は求めていないように思える」
 アムロより先に立って歩き始める。いつまでも立ち話というわけにも行かない。軽く見回すと、ソファと自販機のあるレストスペースが目に入った。そこへ移動する。アムロも、渋々と言った様子で付いて来た。

 並んで腰を下ろし、話を続ける。
「俺達はあの人を止める為に戦った。そうだろう?」
「殺す為に戦ったんだ」
「それは、最終論だ。止められないならば、せめて殺すしかない。それだけの覚悟は、」
「違うよ、ブライト。俺は……シャアを殺したかったんだ。この命を懸けてでも……殺したかったんだよ。この手で」
 掌を見る。この手には数多の血が染み付いていた。ララァの血だとて。それなのに、シャアの血だけが足りていない。あの時……十四年前のア・バオア・クーで、シャアがあと僅か強度の弱いヘルメットをつけていたなら、アムロはシャアの血も手にしていただろう。
「だが、殺せなかったのだろう? お前は、シャアの死なんて望んでいないんだから」
「殺したいさ。ただ、俺の力がほんの少し足りないだけで」
「そして今は、いつでも殺せるから弄んでいるとでも言いたいのか?」
 アムロは口を噤み顔を歪ませた。ブライトは口の中が苦くなるのを感じた。傷つけたいわけではない。だが、アムロは少しばかり強情が過ぎる。
 ブライトは、携帯していた短銃をアムロの手に握らせる。
「っ」
 冷たい感触に身を震わせる。アムロは今にも泣き出しそうな表情でブライトを見た。
 しかし、ここで許してやるわけにはいかない。アムロにはもう少し自覚が必要だ。
「貸してやる。本当に殺したいなら、殺せ」
 ブライト自身は、今のシャアに死んで欲しくはない。だが、アムロが本当に望むならそれは仕方のないことだとも思える。
 シャアの命を自由に出来る人間がいるとしたら、それは、アムロとセイラだけだろう。それは、ブライトにも感じられていた。
 アムロとシャアの繋がりは、シャアが新生ネオ・ジオンを立ち上げるまでブライトは知らなかったことだ。それでも、シャアを追うアムロの姿を数年見続けていれば分かることでもあった。
「……厭なやつ」
「何とでも言え。お前ほどじゃない」
 短銃をそのままブライトの手に押し返す。使える筈などない。
 今更、こんなものの一つで簡単に命を落とすシャアなど、見たくはないのだ。そんなことなら、ここで、意識もなく横たわっているシャアを見た時に息の根を止めている。
 そういうことではなく、自分はシャアの命が欲しいのだろう。
 いうなれば、7年前に殺していれば良かったのだ。そうすれば、シャアはその名に傷を付けることなくただアムロのものであり続けることが出来た。
「……シャアの命……か…………」
 天井を仰ぎ、深く息を吐く。自分が何を欲しがっていたのか、明確な言葉にするのが怖い。
 しかし、ブライトは既にシャアがアムロ自身を望んでいること、そして、アムロがシャア自身欲していることを知っている。
 言うなら、今なのだろう。自分とシャアが、一体どの様な関係であったのか。これから先を、どの様に望んでいるのか。
 ブライトは確かに、アムロの家族だった。十四年の歳月が、仲間という存在を凌駕させている。

「…………聞いてくれ、ブライト。俺は……シャアと寝た。何度も」
 苦渋に満ちた表情で、アムロは打ち明けた。ブライトは一瞬驚いた表情を見せたが、それだけで、やがて、深い溜息を吐いた。
「…………そうか」
 納得した、とでも言うべきか。ブライトだとて、クワトロと身体の関係を持ったことがある。今更の感慨と言えば、そうなのかもしれない。
 シャアと対峙することを選んでからのアムロは確かに揺るぎない。そう言った意味でシャアが望むのも分からなくはなかった。それであの、「戸籍」だとか「結婚」だとかいう話が出て来たのなら、余計に理屈は分かる。
 あの男は、それはひどい甘えん坊だった。アムロに甘え、縋り、支えて貰いたいと思っていたとしても、エゥーゴにいた時分を知っているブライトにはそれ程意外なことでもない。
 ただ、アムロがそれを受け入れたことが意外だった。
 まあ、確かに、アムロはセイラに憧れていた。顔はよく似ているから、ある種の諦めが入れば全く有り得ない話ではないのだろうが、しかし。
「しかし、女好きのお前がなぁ……」
「なし崩しだよ。最初は無理矢理だったし。一昨年、シャアに拉致された時だけじゃなくてさ」
「ああ……そんなこともあったな。あのまま返して貰えないのではないかと心配したが」
「あいつは、馬鹿だから。拉致でも、監禁でも好きにしろって言ったのに……そんなことも出来ないで」
「優しいんだ、あの人は」
「買い被るなよ。あんな奴。ただ、甘いんだよ、俺に対して」
「お前のことを愛しているのだと言っていた」
「ブライトにも言ったのか。あの馬鹿」
 苦々しく舌打ちをする。誰彼に聞かれたい話ではない。
「お前のことをやたら大切にしているようだった。だからじゃないのか? 束縛して得られるものを望んではいないということだろう。お前の自由を奪ってまで、お前を手に入れたいとは思わないと」
「……分かってるよ。……あいつは馬鹿だから、俺に自由をくれようとしたんだ。俺がいらないって言ってもお構い無しでさ。それでこんな結果だ。俺は自由になれず、あいつまで自由を失って。……本当に馬鹿だ。あんな奴」
 吐き捨てる。
 シャアの無駄な優しさは厭というほど理解しているつもりだ。
「俺が側にいたからって、あいつを救ってやれるわけじゃないのに」
「あの人は赤ん坊のような人だからな。ただ、甘えて縋りたい思いでいっぱいなんだ」
「俺が母親になんかなれるわけないだろう。俺は男だし……甘えられたって、そんなの……あいつの方がまだしも母親ってやつを知ってる。俺よりもう少し、母親といた時間が長い筈なんだから」
「俺が父親でお前が母親か?……確かに口にするだけでも寒いな」
「俺は親になんかなれる人間じゃない」
「誰だってそうだ。子供が、親にしてくれるんだ。俺だって、お前達や実の子供達に父親にさせられたんだからな」
「ブライトが父親なのなら、母親役はミライさんに頼めないかな」
「馬鹿言うな。会わせられるか」
 即座に否定する。冗談でも口にしたくない。
「浮気が心配? まああいつ、顔と口だけは凄いからな」
 男として張り合う気が起きないほどには、シャアの内面以外の部分は完璧だ。
「そういうことじゃない。ミライこそ、優しすぎるからな。……シャアなんぞに頼られてみろ。お前の二の舞だぞ。そんな馬鹿なことを、夫として見過ごせるか」
「女ならもっと許せるんじゃないか。女は男に強さを求めすぎない。シャアへの幻想は、女より、男の方がより多く抱いているように思える」
「本人に会えば、幻想など消えていくがな」
「それは本音を許した相手だけだよ。あいつは、外面はいいんだから。親しくもない、自分に幻想を抱いている相手には、旗手としての役割を果たそうとする。その反動が来るのが、俺達ってわけだ」
「俺達、か」
 ブライトに対しては赤子並みの甘えん坊だが、アムロに対してはまた少し違うように思える。
 自我が芽生えてすぐの幼児、とでも言おうか。それ程の我儘をいい、独占欲を剥き出しにしている様だった。
 アムロは勿論のこと、ブライトよりも年嵩の筈が、一体どれだけ子供染みているというのだろう。
「シャアは昔、女を求めてはいないと言っていたが」
「【女】を求めてはいないんだろう。だが、母親を求めている。母親になってくれる女のことなら、求めるさ」
「ますますミライには会わせられんな」
 我が妻ながら、その良妻賢母振りには頭が下がるばかりだ。常に自分を立ててくれるし、父親が側に居ないというのに、子供達は本当にいい子に、両親を敬える子に育ってくれた。それが全てミライのお陰だと言うことは十分に分かっている。
 だからこそ余計に、これ以上の苦労は背負わせられない。ミライとセイラが仲の良い友人で、比較的頻繁に連絡も取り合っているようだが、セイラの兄については何の関係もない筈だ。

 ミライから話を反らせたく、話題を戻す。
「それにしても、お前、よくあの人と寝る気になったな」
 そう、言ってやる。アムロは酷い膨れっ面になった。
「仕方ないだろ。最初は無理矢理で、あとはなし崩しだ。厭だって言ったって聞いちゃくれないし、あいつの方が力あるしさ。誰が好き好んで男に抱かれるって言うんだよ」
 予想外の一言を聞いた気がして、ブライトは口を挟んだ。
「抱かれ……ちょっと待て、お前……お前が、抱かれたのか?」
「うるさいな。何度も言うなよ。俺だって厭だったんだってば!」
「すまん。……いや、しかし……あの人が、お前を? お前が抱いたことはないのか?」
 ブライトには意外だった。シャアが進んで男を抱くとは思っていなかった。男相手なら、抱かれる方が楽だと言っていたのだから。
 否。確かに、シャアに抱かれた事もある。しかし、それはシャアを抱いた時と、感覚としては変わらないものだった。
「何で俺があんな奴抱かなきゃいけないんだよ。大体、男相手に勃つか? 俺より身体も大きいし、力も強いんだぞ。あんな………………待てよ、ブライト。ブライトは、まさか、シャアを抱いたのか???」
「俺だって不可抗力だ!」

 暫し、二人は見詰め合った。ひどい齟齬を感じる。
 アムロは唇を噛んだ。幾ら付き合いが長いといっても、そうそう他人に知られたい内容でもない。自分が……男である自分が、シャアに抱かれているなど。そして、その逆など想定したこともなかったなどと。
 どうやらブライトはシャアを抱いたことがあるらしいが、それならまだ男としてのプライドはそう傷つくものではない筈だ。抱くことと抱かれることの間には、とてつもなく深遠な溝がある。

「…………むかつく」
「いや、俺だって、抱きたくもなければ抱かれたくもなかったんだからな」
「何だよあいつ。俺のことは押し倒すばっかりのくせに」
「その気がないなら、そうでなければ成り立たんだろうが」
「ブライトだって、別にそんな気ないだろ。妻子持ちの堅物のくせに」
「当然だ! しかし……」
 刺激を受ければ勃ってしまうのは悲しくも男の性だ。そういう意味で、クワトロは非常に手馴れていたし、上手かった。ブライトだとて押し倒されたようなものだが、ネコかタチかと言われれば比較的タチ役の方が多かった。
「しかし……まさかお前がな……生身でも負けないんじゃなかったのか」
「負けてなんかない。ただ……あいつの求め方がおかしいんだよ。それだけだ」
「子供、だからな。まるで」
「あいつは、俺がキレイだと思ってるんだ。あいつが思ってる、この世界の元々の姿みたいに、キレイだって。そんなものじゃないのに。俺も、世界も。だけど……言えるか? あいつが信じてるもの、信じたいものを、打ち壊すような真似……俺だって、本当は……信じたかった。この世界が美しいものだって、あいつが信じてるように……信じたかった。だから……拒めなかった。天使を信じてる子供に、天使なんかいないんだって言ってやれる程……俺は意地悪くなれないから」
 苛立ちを隠せず、膝の上に片肘をおいて爪を噛み始める。ブライトはそれを止めなかった。
 自分もそうだという自覚はあるが、アムロがここまでシャアを良いように解釈しているとは思っていなかった。
 最も現実が見えて、誰かに幻想を抱いたりなどしないようにも思っていたものだ。それが、シャアに対してこれほどロマンチックな物言いをするとは想定外だった。
 しかし、その言葉とは裏腹に、アムロの表情は何処まで苦渋に満ちていた。
 

 ややあって、親指の爪に囓れる部分がなくなってきたのだろう。漸く口を離す。そして、苦渋に満ちた表情のまま、縋るようにブライトを見た。
「なぁ……どうすればあいつに……俺は……この世の中はそんなにキレイなものじゃないって教えてやれる? 俺はあいつに……あいつ程、急ぎもしなければ、人類に絶望もしていないと言った。だけど、それは……シャアが思っているようには、人類に期待していないからだ。期待がないからそれ程の絶望感もない。期待がないから、急げるわけがないとも思ってる。シャアは綺麗で、純粋で、優しくて、甘くて……その全てが、最悪な方向に発露してるだけで……まだ、夢の中に生きたままで、夢の中の俺のことしか見ていなくて!! もう……厭なんだ、何もかも……」
 シャアは、自分が厭うたものと同じものを、アムロに押しつけていた。こういうところばかり、この二人は似ているのかも知れない。
 誰かの信を裏切ることが怖いのだ。それが分かって、ブライトは小さく嘆息した。
「お前が厭なのはあの人のことじゃない。……あの人の夢の通りではいられない自分に苛立っているんだ。付き合う必要などないのに、それでもあの人の期待に応えたいのだろう。……違うとは言うなよ。お前は、自分のことに関しては何一つ自覚がない」
「何だよ、それ……」
「お前は、シャアの期待に応える必要はない。シャアの期待に応えなくても、彼を裏切ったことにはならない。子供達もいつかは、天使が現実にはいないことを知る。だが、その儚い夢を守ろうとした大人を恨む子供がいるか。まして、あの人は子供ではない」
「そんなの……シャアに言ってやれよ。シャアこそ、周りの期待に応えて、馬鹿なことばかりしやがって」
「あの人には自覚がある。それに、もう、その必要がなくなったことを喜んでいた。あとは、お前だ」
「……俺を崖っぷちから突き落とすとつもりか」
「馬鹿を言え。お前が本気で厭がっていれば、こんなことを言うわけがないだろう。お前達は敵同士で、男同士で……寝る方が間違っている。だがお前の様子を見ていて……自覚もなくシャアを受け入れていることが分かるから、仕方なくこう言っているんだ。このままでは、シャアだけではない、お前まで……不幸になりかねない。俺は、お前に……苦しんで欲しくはない」
 アムロは反論に口を開きかけたが、喘ぐように数度開閉した後、諦めたように唇を引き結んだ。
 ブライトの言い分を認めたくない。
 しかし、完全に否定してしまうことが出来ない自分に気付き、愕然とする。
 シャアが触れることを望んでいた。
 攫ってしまえばいいのに……と、そう、望んだのもまた、真実だった。

「でも……俺は…………あいつを認めるわけにはいかない」
「何故だ」
「セイラさんが、苦しむ」
「何故そう思う」
「……そうね。私も、聞かせて頂きたいわ」

 アムロとブライトは、揃って弾かれるように振り返った。
 二人の背後に所在なさげに……しかし、何処か毅然とした様子で立っているセイラを認めて身を竦ませる。
 何処から聞いていたのか……顔から血の気が引く思いがする。
「……いつから……」
「ごめんなさい、今来た所よ。兄さんが貴方に会いたがって駄々を捏ねているものだから……呼びに来たの。それで……何故貴方が兄さんを認めたら、私が苦しむのかしら。貴方には、兄さんを殺して欲しいと頼んだ筈よ。それなのに、今更私を逃げ処にされても、困るわ。私は兄さんの望みを分かって、その上で、貴方にお願いしたのよ。兄さんは、貴方に殺されることを望んだ。私もお願いしたわ。ねぇ、そうでしょう?」
 刃のような言葉を、セイラは表情一つ変えず発する。
「…………迷っているのね、まだ。分かっているのに、分からない振りをして」
「あいつに、本当に俺だけしかいないのか……それはまだ、分からないでしょう。あいつは、ブライトにだって甘えていた。子供のように振る舞っていた。他の人にだって、たくさん……」
 そうだ。シャアが最もアムロ達と立場を近しくしていた頃には、もっと他の人間にたくさん甘え、縋っていた筈だ。
 例えば、

「…………カミーユを知っていましたっけ、セイラさんは」
「……聞き覚えはある名前ね」
「俺ではなくて……彼ならもう少し、シャアに優しくしてやれるかもしれない」
 繊細で優しい子だった。シャアの為に壊されたが。
 ブライトのところへは連絡が入っていたから、アムロもそれとなくはその後のことを知っている。シャアが起った時、ロンド・ベルへ志願してきた。尤も、それは断ったのだが。
 彼なら、もっとずっとシャアに優しくしてやれるだろう。殴りながら、罵りながらでも。
 シャアと殺し合いをさせるより、面倒を見させる方が余程彼に合っていると思う。
「今更カミーユを呼んでどうなる。……もうこれ以上、あいつを傷つける真似は止せ」
「ああ……ブライトは良く知っているのか、あの二人がどうだったかって」
「カミーユは、その所為で壊れたんだ。シロッコに連れて行かれたからだけではない。あれは……クワトロ大尉にも責任がある。だからこそ……もう、カミーユをシャアに関わらせないでくれ」
「ご立派な父親だ。しかし、クワトロの父親役としては、どうなんだ」
「カミーユの方が大事だろう。シャアには、お前がいる。お前に出来ることを、他へ押し付けるな」
「俺は、ブライトの息子ではない?」
「そういうことではない。分かっているだろう。……お前はシャアを認めているくせに、何だって他所へ回そうとするんだ。カミーユをシャアが受け入れたら傷つくのはお前………………ああ」
 そこでブライトははっとし、諦めに似た息を洩らした。
 アムロには、そうならない無意識の自信があるのだ。シャアには自分しかいない。それを確認したいだけなのかもしれない。ならば尚のこと、カミーユを呼ぶのは、カミーユにとって非常に望ましくない。
「……その子は、あの人にとって、どんな子かしら」
「……俺や、ララァの代わりで、それから……自分自身の代わりだった子です。もう子って歳でもないかな。俺より五つか六つ下だったから」
「兄自身の、代わり?」
「そう感じたけど……真実は、シャアの中だけに」
「……そうね」
 綺麗な顔をして、頭が良くて、繊細で、優しくて、そして、愛情に飢えていた。アムロ自身とはかなりタイプが違う。ララァには少し近しかったのかもしれないが、それはそもそも生きていた頃のララァを良く知らないアムロに判断できることではない。
 それよりは、シャアに似ている気がしていた。シャアよりは、数倍可愛げがあったが。あの時側にいてやれたら、彼は壊れなかったのかも知れない。そのことは、未だ心の片隅にちくちくとした感覚を齎している。
 あの頃の自分には余裕などなかったし、宇宙は怖かった。とても無理ではあったが、それでも……あの頃に、シャアに対して引導を渡しておくべきだったのかもしれない。
「俺もほんの数日一緒にいただけだから、ただの印象ですけどね。だけど……俺なんかよりよっぽどシャアを知ってる。長い時間一緒に過ごした筈だから。今どうしているかは、知りませんけど」

 ……我ながら虫のいい話だ。
 カミーユにシャアを譲らなかったのに、今更頼ろうとするなどと。
 シャアの命を誰にも譲りたくなどなかったのだ。だから、カミーユを拒んだ。さぞ呆れたことだろう。自分も、シャアも、彼の望みを叶えることは出来なかったのだ。
 優しい子だから……優し過ぎる子だから、拒みはしないだろうという打算はある。
 全く、自分はどれほど厭な大人になったのだろう。
 自嘲を浮かべる。その表情に、ブライトは眉間に深い皺を刻んだ。
「…………お前、そうまでいくと、シャアより酷いぞ……」
「何処が」
「そうして気付いていないところがだ。……いや、気付いていることに気付いていないところ、だな」
「何だよ、それ」
 意味が分からない。アムロは軽く口を尖らせた。ブライトの前では、全く子供の頃から変わらない。
「お前は何もかも分かっているだろう。もう少し自覚したらどうだ」
「何を」
「あれが、ああいう存在だということを。今更変えられんだろう。三十四年も経って」
「誰よりも人類の変革を望んでいる男が、どれだけ自己中心的で我侭なガキなんだよ」

 母に似た少女を望み、殺した。
 少女に似た少年を望み、壊した。
 シャアは求めるものの命を否応なく散らしていくことしかできない。求めても尚、死なず、壊れなかったものは、アムロただ一人しかいない。それを、アムロはどう考えているというのか。
 気付いてているのだろうに、気付いていないふりを続ける。それが歯痒くてならない。

「セイラ、呼ばなくていい。その子は確かにクワトロ大尉のことはよく知っているかも知れないが、シャアとは何の関わりもない」
「セイラさん、その子は、シャアが何よりも望んだものに近しいんです。この状況を打破するのに、役立つかも知れない。お願いします」
「…………カイに頼んでみるわ。それから……会って貰うかどうかは、私が決めます。よろしい?」
 アムロは大きく頷いたが、ブライトは振り捨てるように顔を背けた。
 セイラは、小さく首を傾げ、その後小さく吐息を洩らした。


作  蒼下 綸

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