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 魅力的な少年や少女・・・もちろん大人も含めてだが・・・収容所での力関係を考えれば、何か起こらない方が不思議だな。これは、某収容所(笑)の実例だが、将校クラスの男が少年を個室に囲って、終戦まで慰み物にしてたっていうことだ。これは戦後被害者側からの訴えと証言があった。その将校が罰せられたかどうか定かではない。そんな例はおそらく枚挙にいとまがあるまい。ただ、表面化していないというだけだ。多くの被害者は死んでいるだろうし、生きていても、傷跡をめくりあげるようなまねはしたくないという心理もあるだろう。いかに憎しみが深かろうとね。
 もう一つ、ここの客人にして興味があろうと思われるのは、その防疫部隊の「少年班」が存在したという事実だ。豊富な「実験材料」と設備の整った環境で、エリート教育を施そうというわけだ。選ばれた少年たちは学業優秀、健康優良、あふれる愛国心はもちろんのこと、もう一つの共通点があった。それは例外なく貧しい家庭環境にあったということだ。彼らにとって、衣食の心配をすることなく、無償で教育が受けられることは願ってもないことだった。極端に言えば、「口減らし」という親孝行もできるわけだしね。
 彼ら二十数名は知らぬ異国の地で、猛烈なスパルタ教育を受けた。化学や物理、数学の授業は、相当なハイレベルで、しかもノートを取ることは禁じられていた。全てをそらんじる訳だ。だが、この学業において落伍する者は一人もいなかったという。食事は、彼らにとって至福の時間だったろう。何しろ、腹一杯食事をしたことさえないような、貧しい農村の少年がほとんだ。まして、毎食、白いご飯が食べられる。夢のようだったろうよ。それから、トイレ。基本的に、研究棟は全て水洗だった。まあ、防疫研究のための施設なんだから、衛生面を考えればね。だが、少年たちが暮らすことになった生活棟は水洗じゃなかった。この施設があったところは冬はマイナス何十度の酷寒の地だから、夜に尻を出すのもはばかられるが、大の方も、している最中から凍ってしまうんだな。それを金槌で叩いて落とすわけだ。大も小も飛び散ってしまうが、用を済ましたときには凍っているから気にならない。部屋に戻ってから、悪臭に悩まされることになるわけだ。悪臭と酷寒、一つの大部屋に共同生活を送る少年たちの夜は長かった。それに、何しろ子供のことだ。手紙一つ送れない環境の中で、親兄弟のことを夢に見ない少年はいなかったろうよ。だが彼らにとって夜が長い理由はそれだけじゃない。狂った生体実験の数々を・・・全てではないにしても目の当たりにするんだ。これが彼らの心にいかなる傷を残したか。夜の悪夢にうなされることも少なくなかったに違いない。
 それら、あらゆる実験の中でも、私に最も鮮烈な印象を残したのが「凍傷実験」というやつだ。

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