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稚児狂いの庄屋様〜その2

 栃森がいろりの端できせるをふかす間、虎之祐は板の間に傷ついた体を横たえ、無気力に見開いた目で栃森の背中を見るともなく見ていたのでございます。ぼろ切れのようになった着衣を、わずかに腰に巻き付けているのみでありました。
 ふと気付くと、男の首がわずかに上下するようでございます。
 居眠りをしているのか。
 虎之祐は体を少しずつよじり、戸口に向かって這って行きました。
 男の首は沈んでおります。確かに眠っているようだと虎之祐は思いました。背後に注意を払いながら、できるだけ音を立てぬように戸を開きます。冷たい風と小雪が舞い込み、虎之祐は首を縮めました。外に這い出すと、戸を閉め、立ち上がりました。あたりは闇、地は雪に覆われております。素足に裸同然のなりで、どこまで行けるかわかりませんが、虎之祐は行けるところまで行こうと思いました。
 自分が連れてこられた道筋を辿っているつもりでありながら、それが正しいかどうか、覚束ありませぬ。足は冷たさを通り越し感覚を失いつつありました。やがて、少し開けたところで、ふと立ち止まりました。異様な気配、弾かれたように振り向きますと、緑に燃える小さな光が、ここにもあそこにも。この臭い、息づかい。野犬の群でありました。
 あっと思うまもなく一匹に馬乗りになられ、雪の地面に倒されました。そして、二匹、三匹と歩み寄ります。恐怖の余り動くこともできませぬ。第一、暴れた分だけ凶暴な反駁を食らうのかもしれませんでした。
 父様、あなたのような侍になりたかった。幼い私にはどのような地位にあるのかはわからなかった。だが、病に倒れた後も矜持に満ちた表情を崩さなかったあなたのように。今、得体の知れぬ下賤の者に犯され、野犬の餌となって果てようとは。
 虎之祐は目を閉じました。体中の感覚が今はなく、ある種の至福が彼を包みつつあったのです。その虎之祐を現実に引き戻したのは、甲高く鋭い音。何者かが吹く、口笛のような音でした。
 犬たちが、虎之祐の体を離れ、その男の元へとゆるり歩み寄っていきます。
 野犬と見えたのは栃森の飼犬たちでありました。
 「わしが温めてやったのがそうも気に入らぬのか。ここで凍え死にたいのか」
 雪の中にうずくまり、虎之祐は呪わしい思いで男を見上げるのでございます。
 「お願いでございます。私をうちに帰してください」
 男はにやにやと笑いながら、虎之祐を見下ろしております。
 「母上には何としても、お金を返していただきますから。お願いです」
 「それは無理と言うものだ。お前は母親から人買いに買われ、そしてわしに買われた。もはやお前は母親のものではないのだ」
 「お願い・・・」
 「それほどいやがるものかどうか。わしは四六時中お前を鎖につないでおく気はない。試みに逃げてみるがよかろう。今のようにな。無事に逃げられたら、是非もない。どうとでもするがよい。だが、逃げ損ねたら、覚悟することだ。今からお前に見せるものを見て、まだ逃げたいと思うなら、好きにすることだ」
 そう言うと、男は、虎之祐を抱え上げ、屋敷への道を戻るのでした。

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