ガイドの三木 1
冬枯れの風が、無機質な回廊を吹き抜ける。三木は、くたびれたブルゾンに首を沈める。
大阪国際空港。世界に名だたる国際ハブ空港の一つにして、それらの中でもっとも狭い部類の空港の一つだ。三木が待っているのは、ヒースローからの直行便だった。
(十五分のディレイか。それほど時間を無駄にせずに済んだようだ)
三木は近眼の目を細め、黒いパネルを上から追って、目的の一行を見つけ、心の中でそう呟く。到着予定時刻の五分前だった。三木が同じ目的でここへ来たのはもう何度目になるだろうか。次第に客を待つ時間は短くなる。世界中のあらゆる乗り物の中でもっとも時間に不正確なのは航空機の国際線だ。そして、もっとも正確なのは、日本の都市鉄道である。待たされる時間にうんざりして、次第にぎりぎりの行動になるのは、当然の成り行きだった。
携帯電話が振動した。
「ミスター……三木?」
「Oh,Hello.Mr.Spencer?」
「Yes.Oh I feel'n lucky……」
「よかったよかった。今どこです?」
「バゲージクレイムを出たところです。ミスターは今どこですか?」
「空港のスターバックスです。一ヶ所しかないので、聞けばすぐにわかりますよ。目印は紺のリュックサックです。わからなければ再度電話を鳴らしてもらえばいい」
「OK、ではもう少しお待ち下さい」
イギリス人の英語は、米国英語を聞き慣れた者には多少の癖がある。本家は、こちらなのだろうが。
デビッド・スペンサーは、四十代の英国人だ。本人はミドルクラスとのたもうているが、欧米のミドルクラスは、日本では間違いなく大金持ちの部類だ。息子の代まで働かなくても死ぬまで食っていけるレベルが、彼らの「中流」であるからである。
スペンサーとは人づてに知り合い、二ヶ月ほどチャットやメールをやりとりした。地元の子どもたちもいいが、他民族の中では日本人の少年こそ随一だと熱弁していた。欧米人にはこうした手合いが多い。というか、日本人の若い女性と少年は、国際的に大人気だ。有色人種に偏見を持っている連中においても、これは変わらない。実態を知っているわけではないイメージ先行だろうが……。ついでに言うと、チビでハゲで眼鏡の(というイメージの)日本人男性は、ビジネスパートナーとしてはともかく、セックスアピールには乏しいというのが、国際的イメージである。だから何となく、背は低くないがかなりの近眼の三木は、こういうとき、眼鏡をかけない。
地元で何もないわけではないが、いざ警察沙汰になったときのダメージは日本では考えられぬという「先進国」にお住まいのスペンサーは、この東洋の天国に、多大な期待を寄せている。
(まあ、僕がそう思わせたわけだが、いつものように)
三木は紙コップの熱いブラックコーヒーをすすって、目をしょぼつかせた。
「Excuse me.Are you...」
「Mr.スペンサー?」
背の高い西洋人が、振り向いたすぐそばで、笑顔を見せた。三木はオーバーなしぐさでばっと手を伸ばし、差し出されたスペンサーの大きな手を握る。
背の高いといったが、英国人としては、平均より少し高めくらいだろう。180cmあるかどうか、くらいか。額の生え際は後退しており、髪はブロンド、眉も日本人から見れば「白い」ので、写真で見れば老人に見えかねない。しかし、赤らんだ顔や額ににじむ汗は精力的で、実年齢より、若々しかった。
「コーヒー、飲みますか?」
「いいえ、休むならもう少し落ち着いたところで。荷物がありますから」
スペンサーは握っていたミネラルウォーターのペットボトルを軽く振ってみせる。とりあえず喉は渇いていないという合図だろう。別の欲望は、渇いているかもしれない。