ある園児の話〜その2 キクミさん寄贈


「いつまで なきわめいているんだ」
 たにがわえんちょうが ボクのみぎうでを ギュッっとらんぼうにつかみ もちあげました。すぐに じめんから手足がはなれ ボクのたいじゅうぜんぶが みぎうでをいためました。
「いたいよぉ」
 ボクがひめいをあげると、たにがわえんちょうは ボクの頭を おもいっきり グーで なぐりました。
「なきやまないと なんどでもなぐるぞ」
 たにがわえんちょうのことばに ぼくはようやっとなくのをやめました。なぐられるのがいやだから というよりも きょうふが げんかいをこえてしまって もうなくことも できなくなってしまったからです。
「ゆう……」
 お父さんが そんなボクを 力ないひとみで みつめ、そして目をそらしました。
 そのしゅんかん、ボクはかくしんしました。
 お父さんはもう、たすけてくれない。お父さんはもう、ボクをつれて帰ってはくれない。
 ボクがこんなにひどめにあっているに。
 助けてくれない。
 お父さん、どうして?
「えんちょう それで……」
 お父さんが なにかを いいかけました。
「ああ、そうでしたな。しかし そのまえに……」
 たにがわえんちょうは ボクを雪のつもったじめんにおろし お父さんの車に ちかづきました。
 ボクはもう 雪の上に立っても さむいとも いたいとも かんじません。あしが無くなってしまったみたいに なにもかんじません。
「お父さん」
 たにがわえんちょうが 車の中をのぞきこみ いいました。
「これでは やくそくの かねはだせませんなぁ」
 たにがわえんちょうが こまったような かおをお父さんにむけます。
「な、なぜ……やくそくどおりにこうして……」
「やくそくどおり? おやくそくでは ゆうくんは家から水着で、車のまどをあけはなしてくるはずだったんじゃなかったですか?」
 たにがわえんちょうは そういって 車のドアをあけ、ぼくがさっきぬいだ ふくを お父さんに つきつけました。
「そ、それは……にょうぼにはいえなかったんです。ゆうを ゆうをこんなところにつれてくるなんて。それに……」
「いずれにしてもです」
 たにがわえんちょうは いいよどむお父さんを むしし ビシャっといいました。
「これでは おしはらいする りょうきんは はんぶんが げんどですな」
 たにがわえんちょうは そういって かばんのなかから 紙をとりだしました。おかねです。たぶん、いちまんえんさつです。50枚くらいあったとおもいます。たにがわえんちょうは そのうちの はんぶんくらいを お父さんにてわたしました。
「こ、これじゃあたりない。おねがいです。これじゃあ、うちの工場は……」
 工場――お父さんはちいさな工場の 社長です。ボクはこのまえ おとうさんに できたばかりの コンパスをみせてもらったときのことを おもいだしました。
 コンパスというのは まるを書くための どうぐだそうです。それをみせながら お父さんは ボクや 妹のみっちゃんや おかあさんにいうのです。
「お父さんの工場はな それはもう ちいさな工場だ。つくっているものだって こんなちいさなものだけだ。でもな 自動車や飛行機をつくっている おおきな工場でも お父さんのつくった コンパスをつかって しごとをしているんだぞ。
 だからな お父さんは この工場がすきだ。だからぜったいにまもってみせる」
 そのはなしを おとうさんがしたあと しゃっきんとりのひとがきて おとうさんをなぐりました。ちょうどさっき ボクが たにがわえんちょうになぐられたように。
 しゃっきんとりは おとうさんに おかねをだせ といいました。
 ボクと妹は こわくて お母さんにしがみついて なきました。お母さんも涙をながして 工場のすみで ふるえていました。
 そして、お父さんだけでなく しゃっきんとりは お母さんをなぐり そしてボクや みっちゃんを けとばしました。
 おかね。そうです。おかねがなかったから……
 そして今 お父さんは たにがわえんちょうからお金をうけとっています。
 なぜ? どうして?
 ボク。ボクがここにきて だから たにがわえんちょうは お父さんにおかねをわたすの?
「おねがいします。わたしを、わたしをたすけてください」
 お父さんは たにがわえんちょうにむかって どげざしました。
「しかたありませんねぇ」
 たにがわえんちょうは そういってニヤリと わらいました。
 そして、じめんにおちていた 木のぼうを 拾い お父さんにわたしました。
「ゆうくん」
 たにがわえんちょうがボクにいいます。
「きみは ばつをうけねばならない。なぜならば きみのお父さんが やくそくをやぶったからだ。
 ほんとうは きみは家から 水着でくるというやくそくだったんだ。それなのに きみのお父さんは きみにながそでのふくをきせ だんぼうまでつけてやってきた。これはじゅうだいなやくそくいはんなんだよ」
 ばつ。ばつというのは、つまりたたかれたりすことです。ボクも お母さんの おけしょうで いたずらして みっちゃんのかおに らくがきをしたとき お母さんに おしりペンペンされたことが あります。
 でも はだかで 雪の中に ほうりだされ なぐられ たおされ これいじょう いったいどんなばつが あるというのでしょう。
「さあ よつんばいになりなさい」
 たにがわえんちょうがいいます。
「わからないのかい? ハイハイをするときみたいに するんだよ。こっちにおしりをつきだして。
 そうだ、そのまえに水着はぬごうか。どのみち ここから先は 水着をはくことだって できないんだから」
 ボクはうつむきます。なにもできません。水着を脱ぐ? まっぱだかになれってこと? いわれているいみはわかります。でも それに はんのうするには ボクはもう つかれきってしまっていたのです。
「わかるだろう? そうしないと きみのお父さんは おかねがもらえない。工場をもちなおすこともできない。きみはおかねのために お父さんに ここにつれて こられたんだ」
 たにがわえんちょうが ボクにささやきます。
 おかねのため……
 おかねのために、ボクは……
 おかねのために、ボクはここに
 おかね。
 そう、すべては 今 お父さんが たにがわえんちょうから うけとった おかねのため。
 おかね。そう。おかねがあれば しゃっきんとりはこない。
 お父さんも お母さんも みっちゃんもなぐられない。
 だから。お父さんは……
 ボクはじぶんの手で 水着をおろしました。
 そして いわれたとおり ハイハイをするときみたいに よつんばいになります。
 手もひざも もう雪の冷たさをかんじません。もともとちいさい おちんちんが いつもよりももっと
 ちぢこまっています。
「ほら、もっとおしりをつきだす」
 たにがわえんちょうが そういって ボクのおしりをひらてうちしました。ボクは もう泣きません。だまっていわれたとおりにしました。こころの どこかが ぽっかり なくなってしまったように つらいとか いたいとか そういうおもいが きえてしまっています。
「さあ、お父さん わかりますね? その木で ゆうくんのおしりを たたいてください。そうすれば やくそくの おかねをしはらいましょう」
 お父さんはうごきません。
「で、できない」
 しぼりだすようなこえで お父さんがいいました。
「できるわけないだろ。自分の子どもを……」
「ほう? ならば かねは いらないと?」
「そ、それは……」
 お父さんは くるしげに ことばにつまります。
「いいよ、お父さん」
 ボクはいいました。
 そう、もう どうでもいい。
「いいんだ。たたいて」
 もう つかれた。
「おかねをもってかえって お母さんや みっちゃんが なぐられないようにして」
「ゆう……すまん、ゆう」
 お父さんは ぼくのおしりをうちました。
 とっくにわすれていた いたみが なぜかぜんしんを はしりました。たぶん、それは お父さんにたたかれたから。ほかのだれでもない お父さんに。
「お父さん。もっとホンキでたたきなさい」
 たにがわえんちょうが ぜんこくにいいます。
「ぜんりょくで 100回。それがじょうけんです」
「くっ」
 お父さんは 小さくうめき声をあげ それでも さっきよりも 強くボクのおしりをうちすえました。
「そう、それでいい」
 たにがわえんちょうが まんぞくげに いいました。
 ボクは なんどもなんども おとうさんに 木のぼうで おしりをたたかれます。
 また、なみだがながれます。
 おしりが あかくはれあがり かわがむけ やがて あかい血が まっしろな 雪の上に とびちります。
 いたくて声が出ます。
 それでも、もうお父さんは 手をとめません。
 そして 100かい目。
「はぁ、はぁ……」
 お父さんが あらいいきづかいをあげていました。
「ゆう……」
「お父さん」
「ごめんな。ごめんな」
 お父さんの 涙が よつんばいのままの ぼくのせなかに かかりました。
 ボクはなにもいいません。
 ――ただちんもくのとき。
 そして。
「さあ、いきましょうか、ゆうくん」
 ざんこくな わかれをつげる ことば。
 もはや ひとりで 立つこともできないボクを たにがわえんちょうが だきあげ あるきだします。
 ゆっくりと。かくじつに。ボクはお父さんからはなれていきます。
 ボクは お父さんの方をみました。
 おとうさんは、血のついた 木のぼうを みぎ手にもったまま ただただ たたずんでぼくを みつめていました。ひだり手には おかねがにぎられ、りょうほうの手が ふるえています。それはさむさのためだったのでしょうか。それとも、なにか別の りゆうだったのでしょうか。
 ぼくがぬぎすてた 水着がおちています。
 やがてお父さんは その水着をひろい くるまにのりこみました。
 エンジンの音が 雪の中にひびきます。
 車がはっしんすると ボクのいしきは なくなっていきました。

                                   《ある園児の話――完》

あとがき