| After that 〜Time Lag 2話〜 「おいおい、またかよ…これで何度目かな、もう…」 小さな舌打ちと共に、永木はまずいな、と思う。 金子が居なくなって後任がついたものの、彼のセクションの足並みが狂い始めている。 もともと、ワンマン係長だったので、多少の事は推測してあったが、最近のミスの頻発はちょっと予想の枠を超えている。 ため息をつきつつ、仕事なのだから仕方ない、と永木 亘(わたる)は、彼を呼んだ。 「瀬川くん、ちょっといいか?」 …彼、瀬川 利明は、今年の春、人事異動で北海道に栄転した、金子係長に片恋をしていた男だ。 永木とは同期入庁だから、同い年だろう。 しかし、彼は永木とは違って、いわゆる、ノンキャリア組である。 だから、金子の部下だった男だ。 本来、係長の業務であるべき仕事が、今のところ、新人係長に代わって間もないので、金子の直属の部下であり、係のグループリーダー役についていた彼が、係長業務を代行していることになる。 もともと、彼のセクションは、素早いジャッジ能力を要求され、法も広く深い知識が求められる、庁内有数の忙しい部署だ。 しかも、永木のいる庶務係とも緊密な関係にあるので、彼の仕事は永木が決済する事も多い。 「…何でしょうか」 またか、と言う顔つきはこちらも一緒だが、顔色は彼のほうが断然悪い。 …今にも倒れそう、と言われても無理はないほどだ。 見かねた永木は 「…ココじゃナンだ…ちょっと会議室でいいかな」 少しでも息抜きをさせてやりたいのと、ちょっとばかり不純な動機も含みつつ、別室への移動をほのめかすと、利明は眉をひそめた。 「すみませんが…緊急の要件が2つ入ってます。宜しければ、ここで手短にお願いしたいんですが」 ピリピリとした雰囲気が、本来どちらかと言えばおっとりとした性分の筈の彼を取り巻いて、痛々しいほどだ。 「…まあ、そう緊急と言っても5分の時間が取れない程じゃないだろう?」 その5分が惜しい、と言いたげな目つきを半ば無視して会議室へとっとと歩くと、ため息を零しながらも付いてきた。 入りながら、 「いい加減、柴田さんに引き継いじゃどうだ? あんたばっか走り回ってるじゃないか」 と、新人係長への引継ぎを促すと、凄い目つきで睨まれる。 「…柴田さんは技官畑だから…現場はお前が当分仕切れって金子さんも言ってたでしょう? アンタだってそれは黙って頷いてたじゃないか」 苦笑を零しながら、備え付けのパントリーでハーブティーを煎れてやっている背中に無常な言葉が飛んでくる。 「茶ぁなんかいらねえ。用件言えよっ!」 苛々とした表情のまま、椅子にもかけずに微かに足踏みをしているのに少しだけ傷つく。 この男に惹かれ始めたのは2年前。 彼が自分と同期でこの課に転属してきた当初から、永木は何となく瀬川こと、利明に好感を持った。 何となくムシの好かない金子と言う係長の下についた彼は、決して要領も良くないし器用でも切れるワケでもない。 ただ、自分に与えられた職責をどうにかしてきっちりこなそうと健気に頑張る姿は課内全員が努力家だと認めるところだ。 だから、利明を慕う新人も多いし、年配者のウケもよく、課長も彼には一目置いている。 中々の人徳者なのだ。 ちょっとばかりツメが甘いのと、混乱しやすいタイプなので、時々冷静に第三者が指摘をしてやる必要がある。 ちゃんと希望校に入れる実力は持っているのに、要領が悪いために中々成績が上がらないでいる受験生のようなところがあるのだ。 家庭教師のバイトを長らくしていた永木らしい感想だったのだが、それは彼の上司にあたった金子も感じたようで、叱りつつも利明を可愛がっているようだった。 金子は利明とは正反対で、抜け目がなく、要領が良く、頭のキレる男だった。 まあ人間のコトだからポカはやるのだが、その辺りの調整を、自分が頭を下げず、ちゃっかり部下に押し付けてしまうところがある。 人の良い利明など、いつも調整に時間を割かれ、何度徹夜をさせられたかわからない。 かと言って自分も仕事には妥協しない方だから、自然、利明にキツく当たることも多かったのは事実で……かなり恨みを買っているのも了承済みだ。 でも、好意を持つと苛めたくなる性分なのだから、仕方がない。 ……利明のその性癖に気付いたのは、ふとしたことからだった。 大学時代の友人と渋谷で飲み歩き、ちょっとしたホテル街を通りかかったら…バッタリと出くわした。 ……利明は男連れでラブホテルから出てきたのだ。 バッチリ目が合ったのだから、誤魔化しようがない。 互いに無言で別れたのだが…永木の頭には 「そうか…そっちだったか…」 と、暫くはそれだけがグルグルと渦巻いたような記憶がある。 それから何となく意識をするようになり、利明の視線がいつも金子を追っている事に気付いた。 「そうか…相手が悪いよなぁ」 金子の性癖…凄腕の女たらし…と言う過去を知っている永木としては、余りに報われそうもない恋をしている利明をかなり複雑な思いで見守っていたワケだ。 引導を渡すチャンスをじっくりと狙った永木は、あるコンパに金子と一緒に出席をした。 そこで言い寄ってきた女性に金子が目をつけたのを確認し、それから彼女に何気なくモーションをかけてみたのだ。 彼女はしっかりとした人で、自分の仕事に誇りも持っていて、中々の良い女と言えた。 出来ればキャリア組の公務員と結婚したいと望んでいるコトを彼女は隠しもしなかったのだから、天晴れだ。 が、永木にすれば、その天晴れな面が…可愛くなく思えたのだ。 もう少し頼りなくて…守ってやりたくて、苛め甲斐があって…。 まぁそれは自分の嗜好なのだからどうでも良い。 彼女との話の折を見て金子に水を向けると、このちゃっかり者同士は意気投合をしたようで…要は間接的に利明の失恋を、永木が決めてしまったようなものだった。 利明の辛そうな顔も、嬉しそうな顔も。 金子には渡したくない一心だったのだが…。 想いが強ければ報われるとは限らないのは、利明も自分も一緒だ。 4月に入り、歓送迎会を兼ねた花見の時に、金子に思い切って打ち明けようとしている利明を見かねて、必死に引き止め、酔わせて…その勢いで身体だけを重ねた。 永木は、男女共にイケる口だった。 快楽の頂点を刻むたび、ちがう、ごめんなさい、と何度も口にする利明を宥めて、浅ましい程に求め。 彼の口から出たのは 「セフレならいいよ」 と言う…ちょっと意外な言葉だった。 嫌われて断ち切られてしまうかと思っていたけれど。 あれこれ男漁りをして病気の心配をするのなら特定のセフレがいた方が楽でいいと、らしくない言葉を吐いたのだが…。 心がダメならせめて身体だけでも欲しいと、自分はその後、何度か利明との情事の機会を狙っている。 身体の相性が良いのだから、気持ちも…と、欲張る気持ちを止められるわけがない。 しかし、これも利明に好きな人が出来れば解消されてしまう関係に違いはないわけで…。 「おい、話はっ! 早くしてくれよ…昼イチで秘書課にも行かなくちゃいけないんだからさ」 茶を煎れつつ、少しばかり物思いに浸っていた永木は、利明の苛々とした罵声に意識を引き戻した。 「ああ。話ね。まぁ飲め」 「いらねー」 即、と言う感じで拒否された茶は湯気だけをポッポと立てている。 思わず目の前の利明と重なって小さく笑ってしまう。 「んだよ、ナニ笑ってるんだよ、あんたのイヤがらせに付き合ってる暇ないのはわかってんだろう? マジで忙しいんだって! 早くしてってば」 課内では決して利明はこんな口調で永木にものは言わない。 あくまで上司に対する態度でケジメをつけている。 二人だけになったとき、やっとこうやってポンポンと言いたい事を言うのだ。 「ん。じゃ言うけど。お前さん、今日これから柴田さんと一通り持ち回りが終わったらな、もう今日は後半休も取っていいから。明日1日休め」 突然の永木の言葉に、利明は呆気に取られる。 「いいか、金子さんはな、確かにお前にピンチヒッターは頼んだ。けど、何もお前が柴田さんになれとは言わなかっただろう。お前のやり方は確かにある意味正しいけど、ある意味では強引だ。僭越とも言えるくらいだよ、わかる? ここんとこ、単純なポカも酷い」 ヘナヘナとくずれるように椅子に座る利明に、茶をもう一度勧めながら永木は噛んで含めるように言い聞かせた。 「お前にはお前なりの仕事と職分がある。やり方もある。持ってる性格とか…まぁ仕事には色々絡んでくるのは俺なんかが言わなくてもお前さんの方がよく解ってると思うよ。だからこそ。今のお前はちょっと立ち止まって休んだほうがいい。柴田さんが頼りなく見えるから走り回ってるんじゃないのは解ってる。少しでも助けてやりたいんだろう? なら、一度突き放せ。彼にも責任持たせて叱られるように仕向けてやれ。じゃないとお前が…誠実すぎて、却ってあの人の首を締める事をしてるってわかんないだろうって俺は思うんだけど。何度か柴田さんは任せてくれって言おうとしてるみたいだったけど、お前があんまり一所懸命だから言い出せなくなってるのも、俺は見てるから」 淡々とした口調で言われた言葉を利明は反芻しているようだった。 初めて目の前の茶に口をつける。 「そっか…」 こうやって意見された事に反発するのでなく、ストン、と飲み込んでしまう素直さが、永木はかわいくてならない。 「ちなみに俺も一緒に休むから」 「へっ?」 「なに、お前さんだけに休みそそのかして俺だけ仕事ってのもな。気が咎めるっちゅーか。 俺も実はそろそろな。来年辺りは異動だし。後任育てる意味でもナ。慣らしてないとさ」 それに、と永木は声を低めて利明の背後に回りこむ。 「タマッてるとイラがくるんだとよ。あんた花見からこっち自分で抜く暇もないだろ? どうせなら一人なんかで寂しくやらずにここはな。セフレのよしみでさ」 身動き出来ぬように背後からガッチリと椅子を固め込んで、暴れようとする利明に囁きかける。 「……静かにしねーとすぐに人がくるぜ?」 硬く噛み締められた唇の奥は楽しみにとっておき、弱い耳の辺りや、首すじに唇をかるく添わせながらかき口説くように永木は囁き続ける。 「いつものあんたに早く戻れよ…そんなカリカリきちまってるあんた見てると…こっちまで胸が痛む」 「あんたと…こんな事やってたら、余計カリカリきそうだ」 吐き出される厳しい言葉に、永木はゆったりと笑うしかない。 「いいよ、それでも俺はあんた、好きだからさ」 困ったように眉根を寄せる利明に、もう一度懇願するように囁く。 「……キスさせて」 形ばかりの抗いの後、侵入を許された口腔に、丹念に愛撫を施していく。 「……ん……」 感じるのだろう。 抗いの中に甘い吐息が混じるのを待ち、そっと利明から離れる。 目が潤んでいるのは感じた証拠だ。 本当にイヤなら、誰に聞かれても抗うだろう。 問い詰めることはしなくていい、自然に…利明の気持ちが自分に向いてくれたらそれが本当にいいんだ、と、永木は思う。 けれど、自分の意志を伝えることはすべきだとも思う。 そうやってアタリをつけていく自分が情けないけど、感情にブレーキがかからないのだから仕方ない。 「セフレなんかで済ませようとは思ってねーからな。兎に角昼からは引きずってでも連れて帰る。逃げたら庁内放送でも何でもして追っかけてやる。俺にゃ、恥も外聞もないからな」 開き直った様子の永木に、利明の顔は真っ赤になった。 「あんたが俺を惚れさせたんだから仕方ねーよな。責任取ってもらうぜ」 びしり、と指を突きつけて会議室を出て行く永木の背中に利明は小さく零した。 「……かっこわりー奴……はっずかしい…」 言いながらも、耳元に血が集まるのを、必死で宥める利明の姿は、3時間後、永木宅の清潔なベッドのシーツの上にあった事は言うまでもないだろう。
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