〜9〜
礼子が自分の進むべき道を決めたその日から遡る事数日前。
「失礼します」
真琴は社長室に呼び出されていた。
「どうぞ」
真琴のノックに応え、秘書が内から扉を開く。室内に目をやると、同じく呼び出されていた中森がソファに座っていた。その中森が立ち上がり、真琴に向かって一礼する。
「呼び出して済まなかったね。掛けてくれ」
「はい」
社長に勧められ、真琴も中森の隣に腰を下ろす。それを見て中森も再び腰を下ろした。秘書が淹れたお茶がテーブルに置かれたが、それに手をつけず真琴は早速本題を切り出した。
「それで社長。話というのは」
「ああ。それなんだが」
社長は一枚のFAX用紙をテーブルの上の乗せた。
「これは……」
「新女からの参戦希望だ。今シリーズにあちらさんの選手を数名参加させたいとの話だ」
「はあ」
真琴は締まらない返事をした。これまでにも何度か新女の選手の殴りこみはあったが、個人的に真琴が呼ばれた事は一度もない。どうして自分をわざわざ呼び出したのかがピンときていないのだ。
「実は少し前に新女のある選手から参戦の打診があったんだ。こちらとしては新女と全面的に事を構える気はないから、会社を納得させて正式に申し込むようにとの返事で保留したんだが、まさかこんなに早く動くとは思っていなかったよ」
社長は肩を竦める。
「それで、それがあたしとどういう関係が」
そこまで聞いても要領を得ず、真琴はとうとう社長に問いただす。
「その選手が、私と真琴さんとの対戦を希望している……という事でしょうか」
それまで沈黙していた中森がぽそりと呟いた。
「鋭いな。中森君の言う通りだ。そして、その選手というのが」
「コンバット斉藤……」
社長の答えをまたず、中森がまたも呟いた。
「うおっ。ど、どうしてわかったんだ。もしかして、本人から聞いたのか?」
そこまで言い当てられるとは思っていなかったのか、社長が思わずたじろいで尋ねる。
「いえ、特に面識があるわけではありませんから。ただ、ここまで与えられた情報から推察するに、おそらくは」
「コンバット斉藤……ああ」
その名を聞いて、ようやく真琴にも話が見えてきた。
「中森君の言う通り、ウチへの参戦を希望しているのはコンバット斉藤君だ。ウチとしては今月タイトルマッチを組んでいるし、そうでなくても団体のトップを簡単に出すわけにはいかない。伊達君との対戦は許可できないとは伝えたが、それでも構わないという事だった。いや、むしろ彼女の目的は伊達君ではなく、君達にあったようだ」
「という事は、総合ルールで戦え、と?」
真琴が尋ねる。コンバット斉藤は中学空手全国大会に3連覇し、鳴り物入りで新女に入団した逸材だ。その彼女が、キックボクシング上がりの自分と、アマレス出身の中森を指名する。つまりは、そういう事だろう。
「いや、そこまで極端な話ではないよ。ただ、最近は軍人ギミックでプロレスの幅が広がったとはいえ、やはり彼女のベースは空手家だ。それに今の新女において格闘技色が強い選手は彼女くらいのものだし、そういう戦いに飢えて欲するのもわからないではない」
社長は一つ息を吐き、お茶を啜った。
「とはいえウチはプロレス団体だ。あくまで試合はプロレスルールで行ってもらう。……まあ、プロレスのルールは幅広いからね。拳の使用は厳密には反則だが、反則も5カウント以内なら許されてしまう。それがプロレスというもの。どういう試合展開になるかは、リングに上がった者同士で決めればいい。どうかな」
社長は両手を組んで、二人の顔を交互に見る。
「組まれたカードには従います。仕事ですから」
中森は間を置かず、無表情に頷いた。この件について期待も不満も示す事無く。言葉通り、仕事としてまっとうするだけ、という事だろう。
「近藤君はどうだ」
「あたしは……」
社長に話を振られ、真琴はしばし考え込む。だが、断る理由などなかった。若手の急成長と共に認めなくはないが自身の急速な衰えもあり、昨年のUVCを最後にメインにも絡めずにいる。この新しい風が、真琴にも何か良い影響をもたらすかもしれない。
「あたしも構いません。少し興味が湧いてきました」
「そうか。では、7戦目の釧路で近藤君、8戦目のキタアリで中森君にそれぞれセミで斉藤君と戦ってもらう。よろしく頼むよ」
「はいっ!」
「はい」
真琴は勢い良く、中森は静かに首を振る。ベルトという目標が霞んでしまった今、外敵の出現は真琴を熱くさせるものがあった。
「さて、斉藤君についてはそれで決まりとしてだ。向こうからはあと二人、渡辺智美君と小川ひかる君を参戦させるという事なんだが……君達ならこれをどう見るかな」
「小川選手……確か、あたし達と同年代ですよね」
「新女時代のしのぶさんの同期の方ですね。ファイトスタイルは派手さはないもののグラウンドを中心とした堅実なスタイル。確かNJWPタッグのベルトも巻いた事があるはずです」
真琴の漠然とした答えに中森が肉付けをしていく。
「詳しいな、中森」
「いえ。仕事に繋がる情報として、念の為抑えているだけですから」
基本自分の事だけで精一杯な真琴からすれば、他団体の中堅どころの選手まで抑えている中森の知識には素直に感心させられる。
「渡辺さんは昨年もウチに参戦していますね。そうですね、簡単に言うと……渡辺さんは交流戦を通じて一皮剥ける為、小川さんはそのお目付け役、といった所だと思います」
「ふむ、やはりそんな所だろうな」
中森の推測に社長も同意する。が、真琴はまたも置いてきぼりにされ、話が見えてこない。
「すみません社長。あたしにはよくわからないんですが」
「ああ、すまんすまん。昨年新女のメンバーがウチに3人乗り込んできたきたのを覚えているかな。その内の一人が渡辺君だ。ほら、リングの上で踊っていた」
「そう言えば、いましたねそんなのも」
昨年のちょうどこの時期、新女から3人乗り込んできた。だがエース級はともかく、他の二人はアピールに一所懸命で、本来対抗戦にあるべき殺伐とした空気とはかけ離れていたのは真琴もなんとなく覚えていた。その一人が渡辺で、もう一人が藤島瞳だった。
「あちらさんの意図からすれば、渡辺君に団体の威信を背負わせる事で一皮剥けさせようとしたんだろうが、一緒に来たのが藤島君ではね。二人共ファン層を広げるのに一所懸命で、結果は度外視だったからなあ。まあ確かにウチの男性ファンがあの後いくらか新女に流れたようだから、二人の目論見としては成功したようだけどね」
苦笑しながら社長は頬を掻いた。
「それで、今回はハメを外し過ぎないようにという事で小川君をお目付け役に選んだ、と私たちはそう見ているわけだ」
「なるほど」
ようやく合点がいった真琴だが、この話には正直それほど興味は湧いてこなかった。いつでも全力投球の真琴にしてみれば、ショー的要素の強い相手と噛み合うとは思えない。小川はともかく渡辺とは、タッグは別にしてシングルで組まれる事はないだろう。真琴はそう考えていた。その読みは確かに当たっていたのだが、話は意外な所から真琴に絡んできた。
「だがウチとしてもただあちらの思惑に乗るというのも面白いものではない。そこでこちらもこの機会を利用しようと思うんだ」
「と言うと」
「富沢君を、彼女達にぶつけてみようと思う」
「……は?」
予想だにしていなかった社長の言葉に、真琴は思わず間の抜けた声を漏らした。
「ちょ、ちょっと待ってください。あいつはまだデビューして1シリーズこなしただけですよ? いきなりそんな、他団体の選手となんて無茶ですよ」
真琴は慌てて否定したが、社長はまるで真琴のその反応があらかじめわかっていたかのように言葉を続けた。
「確かに常識的に考えれば無茶だろう。だが私には、どうも富沢君は君たち相手には萎縮してしまっているように思えてね」
「それは……」
真琴も薄々は感づいていた。富沢からすれば、年齢的に言えば一番近い一つ前の世代が、石川やREKIといったこれからプロレスラーとしての絶頂期を迎えるメインにもそろそろ絡もうかという面子である。実力があまりにも開きすぎていて、とても目安にはならないだろう。
かと言ってそれより上の世代となると、今度は格というものがある。プロレスは実力だけでなく、年数を重ねる事により身につける格や経験が、他の競技より大きく物を言う。経験を積む為に1シリーズ1・2試合程度ならまだしも、格上との試合がずっと続くとなれば精神的に参ってしまうのもわからないではない。
「まあそれも、この時期に彼女を同期も無しに入団させてしまった私の判断ミスと言われても仕方がないのだが……。しかしそれで片付けてしまっては彼女の為にもならない。せめて実力的に釣り合う外国人選手は用意しないとなと、そう思っていた所で今回の話だ」
「けど、それにしたって二人共富沢からすればキャリアも格もかなり上じゃないですか。いくらなんでも」
「……いや、あながち無茶でもないかもしれません」
そこまで黙って話を聞いていた中森が口を開いた。
「どういう事だ、中森」
「確かに渡辺さんはキャリア的には私と同期、小川さんにいたっては真琴さんと同期です。普通に考えればとても釣り合う相手ではない。けれど、外国人選手を除けばウチにはその年代の選手しかいないわけですから、礼子にしてみれば相手を良く知らない分まだ新女の二人の方が先入観なくぶつかっていける。そう思いませんか」
「そう言われれば、まあそうだな」
「それに、二人共グラウンドを得意としている分、礼子とは手が合うでしょう。渡辺さんのあの試合の魅せ方やパフォーマンスに長けた部分は、私やユキ先輩には教えられない部分ではあるし、礼子の今後のプロレスラーとしての方向性に近いものがあるようにも思えます。参考になるんではないでしょうか」
「う〜ん……」
中森の理詰めの分析には真琴も唸るしかなかった。なるほどそう言われれば、悪い話ではない様にも思える。だが、真琴にはどうしても引っかかる部分があった。
「おそらく社長の意図は、中森が話した通りなんでしょう。納得できる部分もあります。ただ」
「ただ、なんだい」
社長がその先の言葉を促す。
「会社の意図がどうであれ、ファンからすれば規模の違いはあれど、これも一種の新女との対抗戦であると思うんです。富沢もその場に立たされる訳だから、ウチの代表という事になる。そこに、経験を積む為だから負けても構わないなんていう気持ちで上がって欲しくはないし、許されない事だと思います」
真琴はそう言い切って、拳を膝の上で握り締めた。そう、負けてもいいなどという気持ちでリングに上がるなど、真琴のプロレス辞書には載ってはいない。リングに上がる以上は当然勝利を狙う。それが真琴の信念であった。
「なるほど、近藤君の言いたい事はわかった。ただ私としては、それも踏まえて富沢君と新女の二人との試合を組んでみたいんだ」
「どういう事ですか」
「先シリーズの富沢君の試合を見ていて、もちろんデビュー直後の緊張やぎこちなさはあるがそれを差し引いたとしても、勝利する事への諦めが彼女の中にあったように思えるんだ。彼女にとってみれば、君たちを含めた先輩達は皆、偉大で到底手の届かない存在に見えているだろう。もちろん尊敬する事は悪い事ではないが、だからと言って初めから勝利を諦めてしまっては良い試合になどなるはずもないし、そういった考えが染み付いてしまったら今後彼女はプロレスラーとしてやっていけなくなるだろう。勝つ気がないレスラーの試合など、誰が見ても面白いはずがないからね」
すっかり冷め切った湯飲みを呷り、残りのお茶を流し込んで喉を潤すと、社長は身を乗り出して言葉を続けた。
「だから、少々荒療治ではあるが今回の新女の選手との対戦を通じ、簡単に退けないという状況を作る事によって、勝ちにいくという気持ちを富沢君に持ってもらいたいんだ。もちろん結果が簡単についてくるとは思っていない。そこまで甘くないだろう。だが、そういう気持ちを持つ事は今後の彼女にとって、必ずプラスになると思うんだ」
社長の熱い言葉を聞き終えると、真琴はフッと表情を緩めた。
「社長がそこまで考えた上で富沢にこの試合を預けるというなら、あたしが反対する理由はありません。あたしもあいつがどこまでやれるのか見てみたい所もありますから」
「そうか」
真琴が理解を示した事で、社長はホッと安堵した表情を見せた。
「でも、そこまでの考えがあるのなら、わざわざあたしに聞かなくても社長がカードを決めてしまえば良かったんじゃないですか」
「いや、あくまで私は外から見ているだけだからね。実際にリングに上がっている君たちに理解を示してもらえると心強いんだ。これで私も自信を持ってこのカードを組む事が出来る。……それともう一つ、実はこの件にも繋がる事だが近藤君にお願いがあるんだ」
「お願い? なんですか」
社長直々に頼み事をされるなど初めての事だ。真琴は姿勢を正す。だが話の矛先は、一旦隣に向けられた。
「中森君。最近の富沢君はどうだい」
漠然とした質問を投げかける社長に対し、中森は正確に意図を汲み取る。
「そうですね……。入団して3ヶ月、基礎体力はだいぶついてきましたし、グラウンドの技術も見られるようになってきました。今はまだ防御中心ですが」
「ふむ。で、今回対戦する二人に対しては、どうかな」
「……正直に言えば、勝てる見込みはほぼゼロに等しいかと。冷静な小川さんに対してはまず無理でしょう。ベテランだけにある程度礼子にも見せ場を作ってくれるでしょうが。まだ渡辺さん相手の方が可能性はありますが、それにしたって向こうが最初から礼子を潰しにきた場合は何も出来ずに終わるでしょうね。狙うとすれば、相手が格下と油断していた場合に出来る一瞬の隙。渡辺さんの性格からすれば十分に起こりうる事態です。……ただ、そこを突くにしても今の礼子には武器が少なすぎる。グラウンド一辺倒では、やはり自力は向こうが上ですから、極めきれないでしょうね」
「なるほどね」
中森が用意した答えは、社長の期待以上であった。改めて、社長の視線が真琴を捉える。
「そこでだ。近藤君。この試合に臨むにあたって、富沢君には何かもう一つ武器を身につけてもらいたいと思う。私が見た所、彼女に向いていると言えばグラウンド以外なら打撃だと思うんだが、どうかな」
「そう、ですね……手足は長いですし、うまくすれば牽制にはなるかもしれません」
「だろう。そこで、試合まで時間もないし申し訳ないんだが、彼女に打撃を教えてやってくれないだろうか」
「あ、あたしがですかっ」
思ってもいなかった展開に、真琴は驚きの声を上げる。
「む、無理ですよそんなっ」
「いや、キックボクシングをやっていただけあって、近藤君の打撃は非常に綺麗だ。お手本としてはこれ以上のものはないだろう」
「や、やめてください。そんな大した物じゃないですから」
「私の掌底も真琴さんを参考にさせてもらっていますよ」
「な、中森、お前までっ」
急に持ち上げられ、真琴は真っ赤になって照れた。離れて様子を見ていた秘書が、クスクスと小さく笑っている。
「これは引退した越後君にも言われた事なんだ。打撃に関しては近藤君を手本にするといい、とね」
「しのぶが……」
「とはいえ直接教えるには向かないだろうから、あくまで目で盗む程度に、という話だったんだが……何しろ今回は時間がない。どうだろう。一つ、面倒を見てやってくれないかな」
「う〜ん」
真琴は顔を真っ赤にしたまま、しばらく俯いて唸っていた。そして、チラリと上目遣いに社長の顔を見る。
「……あたし、こんな性格ですから、手加減とかできませんよ」
「ああ。やり方は近藤君に一任するよ」
社長が大きく頷くと、真琴は観念して一つ息を吐いた。
「……わかりました。やれるだけやってみます」
「おお、そうか。ありがとう近藤君」
「わっ、あ、あのっ」
いきなり社長に両手をギュッと握られて、真琴は思わずたじろいだ。
「……ゴホン」
「おわっ、ち、違うんだよ井上君、これはだな」
しかし秘書の咳払い一つで、社長は慌てて手を放す。真琴は中森と顔を見合わせ、吹き出した。
「では社長。そろそろ練習に戻りますので、失礼します」
「ああ、よろしく頼むよ」
照れ隠しに頬を掻く社長に一礼すると、真琴は席を立ち、中森と共に社長室を後にする。廊下を歩きながら、真琴は久々に熱い血の滾りを感じていた。
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