1年ぶり。
あえて前回を見返さずにやりました。
はまりもの落書きノート。WJ封神演義、望(伏)×普(女体化)。18禁。
以前、絵も字も本業な感じですねと感想をいただいたことがありまして、転げまわるほどうれしかったことがありました。
私の場合、萌えシーンが
一枚絵で出てくる→イラスト
その前後も芋づる式に出てくる→web漫画
関連した別シーンも出てくる→SS
もうすっかり一本できあがっちまいましたしかも萌える→本作成
と、なります。
さて、昨日やった二次SS書き向け100題は、自分が普段どんな風にSS書いているのかを振り返れて楽しかったです。SSは特に馴染み深い表現手段なのですが、深く考えたことってあまりないですね。いつも感覚で書いているので。
今回は、振り返りを兼ねて私がSSを書き出すまでの過程を具体的に記してみます。
まずはネタです。私の場合日常生活の中から出てくることが多いです。日々を送りながらネタの神様が御降臨なさるのをひそかに待ちます。
探しに行くとでてこないんだよ、ネタの神様はちんまくて小心者だからなーHAHAHA。
……。
……。
なんとなくヒゲ剃ってるふーたんが思い浮かんだので妄想開始!
「仙道のいない世界を作る」
立派な志ですが、自分も仙道だからある種自己否定ですよね。
彼の努力の軌跡がそのまま自己の消滅を追い求める道程だったのかと思うとなかなか切ないです。
ま、伏羲になることで消滅は免れましたが。
変質はしたけれど。
陰陽を併せ持つ伏羲という存在に集約されることで、八方ふさがりで窒息していた王天君と、緩慢な自殺を試みていた太公望の両方が救われたんだと思います。
だから私はふっきゅんが大好きです。
同じ理由で妲己ちゃんも大好きさ!
望と王天だけでは溜め込みまくった葛藤を消化しきれなかったんじゃないかなあ。そこを妲己ちゃんがイタズラ心で(メインはこれであってほしい。本人的にはただのイヤガラセであってほしい)浄化してあげたんではないかと。
フジリュー版の後半は、偏りすぎて行き詰った魂が中庸を取り戻し、太母を通して生まれ直す過程。そう解釈しています。
まあとにかく妲己ちゃんすげぇよな!ほんとに!
我が人生に一片の悔いなし~んvて感じはむかつくほどすがすがしいよ。
だからやっぱフジリュー版に忠実にカップリングするなら妲己×望以外ないと思うでよ!そうなるとふーたんが入り込む余地がないから彼女には望をおもちゃ扱いしててもらいます。ああ結局大事なのはそこさ!そうともさ!
なんか私は伏羲に神々しいイメージがないんだよなあ。3帝なのに。
あとしまつの好き勝手っぷり見てるとね。むしろあの好き勝手っぷりこそが真骨頂な感じがして。だらだらふっきゅんでらかわゆい!