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チビ玉とジョージ 9

 「これより大きいトラックがいっぱい並んでるとこ、抜けるねん。近くまで行ったら俺わかる」
 貨物の方か……。
 三木はハンドルを切った。舗装状態の悪い下り坂に入り、金の抱える腕の中で、チビ玉のからだは大きく揺れる。
 「この看板こっちや」
 「よし!」
 三木はスピードを落とし、チビ玉の指示に従ってT字路を折れた。
 窓を開くと、すでに海の香が漂う。闇夜に湿った霞が漂っていた。割れた舗装で、またトラックが大きく揺れた。
 「降りよう」
 駐車されたトレーラーの列やプレハブ倉庫、廃棄物のネットやオレンジの球形標識の山。照明は心細く、地面の状態は確認しづらい。大型トラックでこれ以上の進入、探索は難しかった。

 真ん中にチビ玉をはさみ、男二人。足元に気を遣いながら歩いた。気温は冬ほど低くないはずだが、吐く息は、街灯の直下では白くけぶった。

 「……あそこ……!」
 海が見える。そして黒々とした、停泊中の巨大な船体。トレーラーの列が途切れ、少し広くなった場所。奥には闇に向かって、テトラポットの並ぶ堤防が伸び、消えていく。
 もっとも視力のよいチビ玉が、その姿を一番にとらえたが、三木にも金にも、すぐには彼の見たものは見えず、目を凝らしてやっとバイクの影を認めることができ、やがてそれにもたれる人影をとらえることができた。
 「……ジョージ……」

 その時、三人の耳に確かに自動車のエンジン音が聞こえ、トレーラーの列の反対側の、プレハブ倉庫の並びから、赤い光が漏れるのを見た。そして、二台のパトカーが相継いで飛び出し、扇状に鼻先を開いて、タイヤを軋ませて急停止した。

 「ジョーーーーーージ!」
 手を繋いでいた金の一瞬の油断を突いて駆けだしたチビ玉に、三木が猛然とタックルをかけるように飛びつき、からだを抱え一緒に湿ったコンクリートの床に転がった。
 三木は泥だらけになりながら、滅茶苦茶にもがき喚き続けるチビ玉を押さえつける。
  「ジョージ! ……ジョーーージ! ジョーージィィィ!」
  血の出るような叫びを上げながら、喚き続けるチビ玉を押さえつけながらも、三木には自分の判断が正しいという確信はなかった。

 声が、言葉として届く距離ではないが、風はほとんどない。もしかしたら、チビ玉の声が彼に届いたのかもしれない。
 小さな少年の影が、こちらを向き、今や三木にも金にも、はっきりとそれがジョージだとわかった。彼も何か叫んでいた。

 「くるな! 来るなーーーーーッッ!」

 それはチビ玉に向けられたものか、三木と金に向けられたものなのか、パトカーから飛び出した、神部と私服二人、制服三人の警察官たちに向けられたものなのか、わからない。制服警官の一人が、強力なハンドライトのビームを彼に向け、追い詰められたジョージの姿を、闇の中に白く浮かび上がらせた。

 金はジョージの手が、腰のあたりに下がるのを見た。
 「ジョーーーージ! 動くな! 動いちゃいかん!」
 金はジョージを刺激するまいと、大股で、しかし走らず、彼に近づこうとした。

 持ち上げられたジョージの手には、小さなピストルが握られていた。ジョージはそれを両手で握り、警官達の方に向ける。
 「銃を捨てろジョーーージ!」金が叫んだ。

 乾いた爆音。ライトの光線の中に拡がる白い煙。すぐに流れて消える。並ぶ警官達は、射程にすら入っていなかった。
 しかし座位に銃を構えた二人の警官が、各々二発、銃弾を放った。
 それらは全て少年の細く小さな肉体をとらえ、ジョージは、一瞬だらりと両腕を下げると、ばったりと前に倒れて、ライトの光から姿を消した。

 三木のからだの下のチビ玉には、もう闇に慣れ、そして極限状態がもたらす感覚の鋭敏化のもと、血泡を吹きこちらを見るジョージの顔が見えていた。
 「ジョージ、ごめん、ジョージ……」
 喚いても言葉は届かない。彼にも自分が見えていることに賭けるだけだった。口を動かし、囁くのだった。三木はその囁きに、胸を抉られるようだった。チビ玉を押さえ込んでいたからだを、ゆっくり起こした。

 「チビ玉、ごめん……守ってやりたかったんや。好きやったんや……でも俺、あかんかった……ば・い・ば……い……ち、び、た……ま」
 ほとんど口の動きだけのジョージの言葉。それがチビ玉に伝わったのかジョージにはわからなかった。すぐに意識が、闇に溶けていったから。それを知っているのは、この世に、チビ玉唯一人だった。

 金は成り行きを見ても、歩みを止めることも、また早めることもなかった。平然と警官の射程に入り、ジョージの側に寄り、跪いてジョージのだらんとした手首を握り、顔を少し持ち上げ、瞳の色を見た。

 警官達が歩み寄ってきた。
 「仕事を終えて満足かね」
 見上げた金がとげとげしく問うたが、神部の唇には、職業的な、皮肉っぽい微妙な笑みが浮かんでいて、言葉はなかった。
 「救急車を呼びたい」
 「もう死んでるよ」
 「……脳死ではない」
 銃創からして肺の動脈がやられ、すでに絶望的な出血量であることは金にもわかっていた。
 「むだでっせ」
 「……ではとにかく、身柄を引き渡してほしい」
 「あんた身内やないやろ。こっちにはそのガキのガラがいるんや。さっさと片付けんと国際問題になりかねんよってな……お前、何もんや……? ああ、Zのヤブ医者か、チョン公の」
 金の顔をのぞき込むようにする神部の顔には、相変わらず皮肉な笑みが貼り付いている。
 「野良犬一匹この世から消えたところで、どうやっちゅうね。こんな事件がやたらに起きたら観光客も減るからな。あそこの街にもええ薬……」
 立ち上がり警部をにらみすえた金の表情は、闇にもはっきりとわかるほど凶暴に歪んでいたので、さすがに神部はあとの言葉を飲み込んだ。
 「……わしを殴ってお前も撃たれるか?」
 「撃ってみやがれ!」
 大柄で逞しい金は、思い切り引きつけた腕を素速く突き出し、神部に判断の間を与えることなくその顎に骨も砕けよという拳を食らわせた。
 わずかに宙に浮き、背後に飛んだ神部警部は、尻から地面に叩きつけられ、前屈みにからだを二つに折る。
 部下の警官が、微妙な間を取って金を囲んだ。
 うめくようにして口を拭い、からだを起こした神部が、部下を制した。ぷっと、血にまみれた黄色い歯のかけらを吐き捨てる。
 「行かしたれ。……金センセイ……いずれ礼はさしてもらうで」
 金はものも言わず、背を向けた。

 泥まみれで立ちつくす三木と、その彼の腹に、顔を押しつけるようにしているチビ玉のところに、金が大股で戻ってきた。
 「行こう」
 三木はうなずく。三人とも、ただ口をつぐみ歩いた。

 仄暗い眠る港を吹き抜けた一陣の風はことのほか冷たく、二人は幾度も後ろを振り返るチビ玉の背を押しながら、身をすくめ、車を止めた位置に急いだ。

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