昼行灯にご用心 3
大石の出張は、3泊4日であった。 同業種協会の全国大会とやらが、毎年担当都道府県を割り振られ、行われるのだが、今年は大阪が開催地である。 いわば、全国規模で同業種交流や意見交換がなされるのであるが、その筋書きは、既に協会側で根回しが組まれているし、好き放題に放言しても、議事録は、しっかり事務局がとってくれるので、こう言っては何だが、実に気楽なものだ。 その大会の後が言わば、社長連中にとっては、メインイベントであった。 懇親会と称し、各県から、約20社程度の社長連中が寄り集まり、他都道府県との同業者たちとの懇親を深めるための大ゴルフ大会が、恒例行事として、行われる。 現場の仕事は世間の休暇時期が忙しい職種であるため、テンテコマイをしているのだが。 社長自ら現場に入らねば会社が動かない規模の組織は、「協会」には数少なく…ましてや大手ともなれば、役職は世間一般のスケジュールが該当し。 ……で、社長連中が比較的ヒマである8月に、この大会は、催されるのが常であった。 大石は、余り、こう言う催し事に、興味を示さない。 それくらいなら徹夜のシンドさを押してでも、現場の手伝いをして、パートのおばちゃん達にからかわれている方が気が楽だ、と言うのだ。 今でもちょくちょく、人手が不足していると聞けば現場に気軽に入るし、仕事を愛しているのは感心なのだが、社長業がオロソカになっては、会社が立ち行かない。 素養はあるのだが、本人がかなりヤル気にならないと、事務やデスクワークには不向きに出来ている人間なのだ。 そして、意外に社長業務にはこのデスクワークの占める比率が高いものなのである。 会社の三本柱は、営業を大石、数字管理を早乙女、技術と人の管理を専務が担当することで、回っている。 その苦手な付き合いを、ここ数年は何だかんだと逃げおおせたらしいのだが、今回は神奈川県協会会長の直々のお達しで、大石の意思とはほぼ関係なく、ゴルフ参加が義務付けられたのだった。 会議の参加じゃない辺りが、らしいよな、とは、人事課長の、早乙女の談であるが…。 「今年は神奈川チームが優勝を頂きたいからね。ゴロー、おまえ、球技は昔から何でも得手でしょうが。好みじゃないとか文句ばかり言わずに、タマには観念して、ついてきなさい。何、おまえサンに会議の議事進行しろだの、研究成果発表しろなんて言わないよ。思いっきりゴルフしてくれればいいんだから、こんないい仕事ないでしょーが。夜はアレだよ、大阪なんだから。酒井のオヤジが出してくれるし財布も痛まず一石二鳥、三鳥でしょ。タマには協会のお役にも立ちなさいよ」 父亡きあと、大石が名ばかり社長を継いで、実質、仕事がわかるようになり、最低限の資格が取れるまでの約3年。 あれこれと素人社長に親身になって世話をしてくれた、大恩ある会長には、天上天下唯我独尊を地で行く大石も逆らえない。 従業員には大変恵まれている鰍nBMこと、大石ビルメンテナンスではあるが、この三年間の、会長の手助けがなければ、父の時代のネームバリューと実績をもってしても、今ほどの良好な黒字経営は、見込めなかったと言っても過言ではないだろう。 結局、文句を垂れつつも、大石は機上の人となり、青山は、7ヶ月目にして漸く、本来雇用された目的の仕事の、もう1つを、早乙女に割り振られる事になった。 青山雇用の目的の1は、大石の秘書業務&営業サポートであるが。 もう1つ、早乙女には目論見があった。 ヒトコトで言い切ると、営業課員の行動をチェックし、指導して欲しいのである。 要は、対営業用教育マニュアルの、導入と言えようか。 人事関係は、会社なりの諸事情があり、肩書きとは全然違う専務が、人を見る目に長けているのでほぼ任せっきりにしているが、あくまで彼の判断基準は「現場に向くかどうか」であり、「営業とは何か」を解っていないフシがある。 それゆえに、営業社員を雇用するときには、大石、早乙女、専務の他に、業務課長をも含めて面接し、協議している。 大抵は、営業課長を兼務している形の大石が最終判断を下すのだが、彼もサラリーマン経験は僅かなものなので、ほぼ、勘で決めてしまうところが、ある。 先代も、自ら現場に入る性質であったことから、営業に通じたオーソリティーがいない、と言うのが、この会社の泣き所でもあり、長所とも成り得る。 青山としても何となく、鰍nBMに対しては、そう言う印象を持っていた。 これは早乙女が背負う分野ではあろうが、何しろ数字部門の仕事が余りに膨大になりすぎ、自分1人では手が回り辛く、かと言って、社員の中に、そう言った人事の経験者や、オーソリティーはおらず。 本来は社長の秘書で雇った筈の青山の履歴書に書かれていた、一行の経験職歴が、早乙女の光明であったのだ。 どの会社も悩み所ではあろうが、営業と現場の緩衝剤的な人物が、切実に欲しかった。 何を言うでもなく、自然と、青山はその役に当たって、営業と現場にそれぞれ、助言する事もあったのを見て、早乙女としては、新卒が現場配置に就き、仕事の邪魔になる大石が出張に出て行ける8月を待ちかねていたワケだ。 これを機に、営業で一番持て余している人物をスケープゴートとし、徹底してシゴきつつ、営業部自体に、教育マニュアルを浸透させて行きたい、と言うのが早乙女の、青山に対するオーダーであった。 まぁそこまで露骨には言っていないが、ちと持て余している営業がいるから、彼につける新規配属の新人をフォローしてやってはくれないか、ついでにその営業も若年なので、行動や言動が、不適切と思われる箇所は指導して欲しい、と言うのが早乙女のセリフではあったけれど。 青山にとっては、お手のものだ。 前職は、業界最大手人材派遣会社の、対男性営業派遣社員教育が担当業務であったのだから。 約4年に渡って経験した業務知識はまだ、錆ついてまではいない筈だ。 その問題の営業課員は、酒井 勇一と言う。 実家は大阪でも最大手のビルメンテナンス業を営み、その社長の長男…言わば、将来の若社長をナゼ大石の社で預かっているのか。 要は、神奈川県協会の会長と、酒井の父が姻戚であり、もともとは、会長の社に現場から叩き込んでくれと修行に放り込んだものの。 営業をやりたかった勇一クンは、出社早々サボタージュの連続で、手におえないことから、大石に会長が泣きついた…と言う裏事情があるようだ。 この鰍nBMは、先代の頃から、少々変わった人事配置を行う。 新入社員は必ず半年の現場経験を経てからでないと、希望の職種には配属しないのだ。 なので、アルバイト経験者が社員に登用される機会も多いし、逆に、営業や事務などを希望して入社しても、現場が性に合えば、大学卒業者でも、現場に残ることもある。 国立大学の大学院を卒業し、専攻分野での博士号まで楽々と取得し、大学側には、十年の一人の逸材として、教授としての大学への遺留を散々薦められたのにも関わらず。 全く畑違いで、ちょくちょくアルバイトに入っていた鰍nBMの現場の仕事が大層気に入り、そのまま就職してしまった変り種が、専務であるそうだ。 専らペーパー試験での資格絡みとなれば、まずは彼が取得に赴き、獲って来て、それから後続を育てる、と言う役割もあるらしい。 まさに、人事課長と、セクションと役職名が逆転している。 どうやら、役員報酬などの絡みで、役職名を逆転させているらしいのだが…。 また、逆に現場に入っていた、義務教育卒業のみの者が、営業に配置もされている。 もっとも、彼は後に目覚めた向学心で、見事、大検資格を取得したので、何も恥じることはない。 その、彼の資格取得のために、専門学校のみでは足りない部分を丹念に個人教諭し、尽力したのも、また、専務であるそうだ。 若年のわりに石頭で、説教臭い、頑固な人物で、一見窓際族の観はあるが、案外職員の受けは良いし、現場の信望は厚いのである。 ともあれ、地元では、少々変わった採用方法を取るので有名だし、青山もその話を派遣会社にいた頃に、聞き及んだことがあった。 が、酒井はどうにも営業をやりたくて仕方ないらしく、どうせ客人扱いで終身雇用ってワケでもないんだからいいだろうと言う早乙女の冷静な意見も有り、節を曲げて、希望する営業に配属してみれば。 もともと、素質もあったのかもしれないが、メキメキと手腕を発揮し、並みいるベテラン営業を押しのけて、就任早々の上半期決算では、大石に次ぐ営業成績を獲得してのけたのである。 子供の頃に父についてよく現場にも入って手伝いをしていたと本人が言う通り、ある程度の現場の基礎知識もある。 今年で就業2年目を迎える若干24歳の青年にしては、かなりの辣腕と言えた。 が、仕事の仕方の強引さと、人柄の傲慢さが、たびたび現場や客先との不必要な衝突をも起こす。 協会側で根回しの済んでいる他社獲得予定物件を横奪に近い形で落としたり、他の営業員の根回ししていた物件を我が手柄として不必要な上乗せを乗せた挙げ句に横取りしたりもするので、大石自らその辺りは釘を刺しているのだが、本人は 「どーせこの会社で骨埋めるんやないし。好きなようにさしてもらいますわ。金はあるとこから貰うのがエエて、社長も仰ってますやんか。会社が赤出さなんだら文句ないやろ。それに、儲けもない物件は、オレ、見向きもしぃひんし。いかんのなら明日にでも辞めて大阪帰れば暫くは遊んで暮らせるし別に構いませんけど?」 と、しゃあしゃあとしたものだ。 普段はソコまでヘソを曲げた発言をしないのだが、最近、特に現場との衝突が激しく、見かねた早乙女や専務の萩がどう忠告しても、頑なに意見を聞き入れようとしない。 そこに丁度、大阪が会場でああ言う催しがあれば、酒井の父と大石が歓談することもあろう。 要は、そろそろ、我儘坊ちゃんの大阪への返品を検討したい、と言う早乙女初め、役員全員の多様な思惑が絡んで、大石の今回の出張が成り立った経緯があるのである。 早乙女と、大石の密かな話し合いは、空港に向かう車中で行われたのだから、当然青山の耳にも入っているのだ。 また、その事情を青山にさりげなく知らせるため、早乙女も、車の中と言う密室で、この話題を口にしたのだろう。 詳しい経緯は知らされないにせよ、君のほうが年上だし、社会経験も豊かだから、どうか忌憚なく、ビシビシ指導してくれたまえ、成績は良くても兎に角ヒューマンスキルをもう少しつけないと実家にも帰せないだろうし、それを会長も希望していたから、と言う早乙女の意見に苦笑を隠せない。 1日はある程度の会社側の希望するラインを早乙女や萩、時折社に帰ってくる営業課長補佐のブランクを割いてもらって、彼らとの詰めに費やし、その翌日。 青山は着任の挨拶に、営業課に出向いた。 「おはようございます、本日より、新人の林くんと一緒に酒井さんのアシストと営業事務を担当させて頂きます青山です。宜しくお願い致します」 型通りにきっちりと挨拶をする青山に対し、課員は、全員和やかなムードで迎えてくれた。 酒井当人以外には。 むっつりとした表情で軽く目礼をすると、新人の林にナニゴトかを指示し、青山に、何枚かのCDを渡した。 「これ、今までのデータです。俺がとった物件の経緯とか数字、全部入ってます。あとは…まぁ現場見ていただくだけやから別に仕事の引継ぎとか言うても何にもないんですけど」 思わぬ反応に、青山としては、頷くしかなかった。 ……言葉にはしなくとも、彼の言葉は自分の退職を前提に発言されている。 自分が大阪にそろそろ戻されそうだと気付いたのだろうか。 今回の大石出張決定の急な経緯や、面子から読み取れたのかもしれない。 そう言う勘や、政治・背景的な読みが非常に鋭いのも、酒井の特性であった。 「これから、協会絡みの現場視察が一件、入ってます、運転は僕がします。青山さんも同行してご覧になられますか?」 丁寧に、ニコニコと言う新人の林君に、ぜひ、けど、運転は私が、と答える合間にも、酒井は黙々と支度をしていた。 いつもは、耳につくほど独特の関西弁をまくし立てて張り切っている彼が、こんなに静かに行動しているのを、青山は初めて目にした。 兎に角一刻も早く社から出たそうな雰囲気を察し、慌ててノートパソコンとアタッシュケースを腋に抱え込み、車の前までついて行く。 社用車のALLEXの運転席に座ろうとする青山を制し、ちょっと道が複雑ですから、最初は見て下さい、帰りは任せます、と言う酒井に従い、後部席に腰をおろした途端。 携帯が響き渡った。 ちょっと詰まった感じで設定された間隔の呼び出し音は、大石の携帯からのもの。 「はい、お疲れ様でございます、青山です」 「シンちゃん? 私だよ、鶴賀崎ですけどね。ちょっと聞いてもいいかね?」 「会長? お世話になっております、お疲れ様です…あの…社長は…? まさか…ゴルフまですっぽかしたなんて事は…」 着信は間違いなく大石の携帯からなのだが…意外な人物からの電話に、青山は不審感を禁じ得なかった。 「ああ、大丈夫大丈夫。吾郎は今シャワーを浴びてるんだよ。いやぁ、私の携帯が池に落ちてパーになっちゃったものだから。それで今は吾郎の携帯を拝借してるんだけどね…いや個人的に君に聞きたかった事もあるもんだから。シンちゃん…吾郎はいつもあんな…その…ビキニとやらを履いているのかね? どうやら君が見立てることもあるようだが」 「はぁ?!」 「いや、別に悪い事じゃないんだよ、実はね…」 「はぁ…」 ゴルフ場で着替えるときに、たまたま、大石のビキニに話題が及び、青山にとっては痛恨の極みに当たる、蛍光黄色ビキニの話題が、出たらしい。 若手もいたらしく、そのビキニを自分も欲しいと言い出したのが何人かいて、購入先のデパートに問い合わせてみたら、現在その下着の取り扱い業者とは取引中止中でもう店頭では販売しないと言う。 他メーカーでも構わないと、ネット販売を検索してみれば、どのネットショップも品切れ状態で、とうとう、メーカーの連絡先にまで電話をしたものの、電話代未納で利用停止になっているテイタラク。 で、大石いわく 「あれ、確か3枚セットだったんだよ、白とうすーいピンクと、青みたいな奴で。形も綺麗で布も結構いいから俺も気に入ってさ。シンはああ言うの探すの上手いからよ。んで俺もありゃ、特別って思って、接待の時だけに履いてたから…2回くらいしか履いてねぇのよ。シンのこったから、これならビキニでも上品だと思って買ってくれたはいいんだけど、とんでもなかったワケでよぅ。俺も暗いトコで本当の色が解ったときゃ、ある意味、ビックリしたぜ。でもシンの反応見る限りでは知らずに買っちまったらしーんだわ。 で、多分白が黄色だったんだろうな。俺が履いたのは黄色の1枚だけだから、よかったら、残り、欲しい奴にやるわ。シンが、どーにも気に入らねーらしいんで弱ってんだわ」 と言う話になったらしい。 それだけならまだしも。 話を耳ざとく聞きつけた社長連中が悪乗りをし。 ゴルフの試合の結果で、最下位を取った都道府県チームには、そこから3人、罰ゲームとして、その蛍光パンツを3色、それぞれに装着し、中で一番成績の悪かった者には大石が着用した黄色を履くと言うことで、宴会場でストリーキングをさせてはどうか、と言う話になったらしい。 偶然にも今回の参加メンバーは、男ばかり。 同性同士の下着姿を見たからと言って、大変な屈辱であるとか。 ゴルフの順位が最下位だからと言って、同性が着用した下着を履かされて同性の前を歩かせられたとか。 そんな事を細かく言うような人物はこの業界では余りいないし、もし万が一、苦情が出たとしても、悪ふざけが過ぎた、と言えばそれでおしまいだ。 挙げ句、最下位候補の県の社長連中は大層な賑わいだし、会議の席でまでその話が公表された途端、ゴルフ参加の数が急に3組ほど増えたと言うのだから、セクハラなんて繊細な意識がないことは、言わずもがなであろう。 「…と言うわけでね、非常に申し訳ないんだけどね、シンちゃん。その蛍光パンツ、マサに取りに行かせるからさ、直接手渡ししてやってちょうだいな。航空券はこっちで手配したから。どうせマサには私の携帯のスペア持って来させるついでもあるからね」 「はぁ? まだ2日目ですし、ゴルフは明日までおありなら、明日朝必着の宅急便ではいけませんでしょうか?」 「いや、不着って事もあるでしょう。それに丁度、面子が急に一人足りなくなってねー。で、神奈川チームじゃないけど、一人、頭数が必要にはなってんの。だからいいのいいの。マサもゴルフくらい練習させないといけないし。大丈夫、チケット代とか費用とかの諸々は私が自腹で持つから心配しなくていいから。マサにはもう連絡しましたらね、多分、18時頃には会社に行けるって言ってたから宜しくお願いしますね」 「あ、会長! か……うそ…」 通話は、用件のみを迅速に伝え、容赦なく一方的に途切れた。 マサ、と言うのは、会長の婿養子に当たる、樺゚賀崎開発の、専務取締役である。 年齢は38歳とまだ若く、大石ともウマが合うし、よく気がつき、明るく、ちょっとお調子者ではあるが、好人物である。 青山にも、シンちゃん、シンちゃん、と気軽によく話し掛けてきていて、OBMにもちょくちょく、顔を覗かせ、社員にも人気がある。 その専務が、どうもゴルフはイマイチらしく、中々上達しないらしい。 次期社長としては、それではいけないと、事あるごとに、会長があちこち連れ回してシゴいてはいるようだが、従来呑気で闘争心に乏しい性格のせいか。 中々上達に至らないようだったが、兎に角、元気で賑やかなので、ムードメーカーとして、場の賑やかし役として、よく声がかかるようだ。 人物も大変な好人物で、面倒見もよく、会長も実の子のように可愛がっているらしい。 また、彼は生来父がいない環境に育ったらしく、会長を実の父のように思っているフシも、言葉の端々からよく伺えるのが、青山にすれば、感嘆を禁じ得ない、悪意の無さである。 通話の途切れた携帯の通話を力なく打ち切り、余りにばかばかしい内容に青山は深々と吐息を落とした。 こんな事を会長自らが電話してくるだなんて。 しかも他人が身に付けた下着を、幾ら綺麗に洗濯をしてあるからと言って余興ででも身につけようと言う、そのデリカシーの希薄さが、青山には到底信じられない。 当然、この二人には言いたくないし、秘密は厳守せねばならない。 同時に思い出したくない事も思い出すハメになり…。 眉間に深いタテジワを刻み、深い吐息をつく青山を、林が気遣わしげに覗きこむ。 「どうかされましたか? 大丈夫ですか? 会長が何か難しい話でも…?」 慌てて、いや、大したことではないんですよ、ただ、ちょっと急を要する話でしたので、社長宅に帰りに寄らせて頂いていいですか、と告げる。 「どうせ…俺の大阪返品の話でもしてんだろ」 ボソリ、と呟いた酒井に、青山は息を飲んだ。 何故。 どこからリークしたものだろうか。 内心の焦りをぐっと押し隠し、落ち着いて、不審そうに眉間にシワを寄せつつ青山は簡単に説明する。、 「いいえ、ゴルフの余興の件でして。鶴賀崎専務が社に立ち寄りをして、彼に会長から依頼された品物を渡さねばならなくなりまして…専務は、今夜の便で大阪に飛ばれるらしいので…それで、申し訳ありませんが、帰りに、社長の自宅に立ち寄っていただけますか?」 キュッ、とブレーキを踏み、目的地に到着したことを、酒井が目で示す。 話しながらも青山の目がしっかりルートを頭に叩き込んでいたのは言葉にせずとも、解ったようだ。 「マサ兄、何や、呼び出し食うたん? おおかた、面子でも足りひんかったんやろ。余興で使うもんは、金使うてもどんならんよって、社長んチから、ケッタイなモンでも持たして来い言うんちゃうかいな。あの家、妙なモンは揃ってるらしいよって。どう、当たらずとも遠からず、と、ちゃいまっか?」 会長からの用件を鋭く察した応えに、苦笑しながら頷く。 と、酒井は軽く肩をすくめ、ホンマ言うと、聞こえとってん、と呟いた。 おっちゃん、声でかいよってな、と言う彼に、青山はただ、苦笑のみしか浮かべられない。 大阪返品だろう、と言う言葉は、青山の反応を探る罠だったのだ。 これだから、気が抜けない、青山は内心そう思い、背筋を心持ち、きりり、と伸ばす。 こう言う人間に隙を与えればどうにもならないくらい、突っ込んでくる。 それだけは、ゴメンこうむりたい。 あんたもご苦労な仕事やな、と言う酒井は、用件が自分の事ではないのに安心したせいか、幾分口が滑らかになった。 ナニゴトかあるたびに、大阪に帰ると言う癖に、いざ、そう言う雰囲気になると、彼は妙に落ち着かなくなる。 私生活も派手らしいし、大阪に連れ帰るにしては、問題ありの気に入った女でもこっちにいるのだろう、と言う噂は何度か耳にした。 「ま、ゴルフもトップセールスの手段なら仕方ないわな。林、お前も苦手やなんや言わんと、精出して練習し。営業やってくのんなら、ゴルフは必須科目やで。多少の付き合いも出来ん奴は、数字は伸びん。マジメだけが取り得なんか言うのは論外や。 元来、営業ちゅうのは、おっちょこちょいがするもんやよってな。愛嬌が勝負やねん。ちっとはお客さんに誘われたら、打ちっぱなしくらいには、一緒に行ってみ。こないだの、白百合公益さんの、担当さん。しきりに誘うてくれはる言う話、してたやんか。出来ても出来んフリして、教えてもらうんや。したらな、嬉しいもんやさけ、よう、呼んでくれはるようになる。そのうち、こっちが仕事でおねだりしたら、ちょっとしたツマラン事くらいは色々通るようになることもあんのやし。 なぁなぁちゅうのとも、また違うんや、ゴルフやってるとな、何や妙な連帯感が産まれんねん。心底楽しんでしてることと違うからこそ、リーマン同士な、何となく下は下で助け合い言うか。そんなんも、あるよってな」 現場に向かう道すがら、二つだけ年下の新人に、一人前の指導を授けている酒井の言葉に、青山は苦いものを感じた。 ……自分を切り捨てた男も言葉数は少なくとも、よく、そう言う雰囲気の話をしていたものだ。 派遣社員を育てて市場に出すのは当たり前。 要は、派遣市場を開拓・整備するのが、営業の本道。 自分は、今は人事課所属だけれど、いつかは、本道である営業に戻りたい。 しかし、人間を動かす機構についても、知識は必要だから人事も当然極めていくし、会社の本業を見ることは、経営に参画することそのもの。 そんな姿勢を…野心を微塵も隠さない図太さも、男としての魅力に溢れていたように思えて。 たまの休みも、ゴルフが入れば、青山よりそっちを断固優先し。 決して青山に対してすらも、社内外問わず、人の陰口や噂話を一つも漏らさず。 社員教育には自分より遅く就任したにも関わらず、たった1年にして、派遣社員たちの絶対的信頼を勝ち得る、適材適所の配置に到るまでの洞察力。 何より、年上に不思議と可愛がられ、引き立てられる、口数の少なかった、怜悧な男。 かと思えば…勤務中にも関わらず、社内で腰が立たなくなる寸前まで求められ、互いに身が凍るようなスリルを、味わい…。 そのリスクを愛情のバロメーターに比して、君が欲しくてたまらないけれど時間がないと囁かれれば、それに納得し。 ない時間を捻出して愛される事を享受している、と奢っていた鼻先を、ヘシ折られるまで気付かなかった…バカな自分。 結婚が決まった、と呟き、妊娠しちまったらしいんだ、と漏らした彼の顔は。 もう、青山を切り捨てるものとして…それに青山も納得するものとして…語られていた。 その、彼の目を見つめた時の、あの…なんともいえない空虚感と、寒々しさが、背筋をスッ、と過ぎる。 ……営業マンが全てそうとは限らないが…。 自分には出来ない、そう思ってしまった瞬間だった。 酒井の流暢なやりとりは、彼とはまた、スタイルが異なるけれど、貪欲なまでのその姿勢を見ると…時折、思い出したくない過去を、つい、思い出してしまう。 そして、自分によく似た、不器用な林青年を見ていると。 余計なことを言いそうになって困ってしまう。 林は真摯な目で、酒井の言葉に、こっくり、と深く頷きつつ、彼の目線が憂いを含んでいるのに青山は気づいた。 ひょっとして何かあるのでは…と思わせる雰囲気に、気を取られていたら、既に客先の会議室に到着してしまい。 後で彼に何気なく聞いてみよう、と一旦持った疑問に心の中で保留の付箋をつけ、商談会場へと、青山は無意識下に、思考を切り替えた。 まずは、私情は保留。 保留続きだな、最近、と思うと、青山は、らしくもなく、ごく小さな溜息をもらした。 ……なぜか、無性に、大石の無軌道ぶりが、懐かしかった。 彼の無茶苦茶さ加減に、色々と忘れていられることが多いのに気付くのに。 たった、1日しかかからなかった、とまでは…気付かなかったのだが。
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