Back

3

 幸一は、毎日のように私の家を訪れるようになった。

 冷静になった時、禁断の行為を受け入れた判断を後悔するリスクはあったはずだが、幸一はあの日の帰り、「また遊びに来てもいいですか」と自分から言ったのだ。私はもちろん即答で、「いつでも歓迎だよ」と笑顔で応じた。心中快哉を叫んだ。彼はマンガも借りて帰らなかった。読むならここで読む、何度でもここへ来る。私の行為は(ほぼ間違いなく)積極的に受け入れる、と彼は決断したのだ。
 私は、火、水、金に大学で講義があるが、その日でも夜八時以降ならほとんど家にいる、など在宅予定を幸一に伝えた。家で仕事をしていても、かまえないけど一人で遊ぶならいくらでも来ていい、と言ってやった。もちろん実際には存分にかまってやるつもりだった。テレビを見てもゲームをしても、よほど大きな音じゃなければ気にならないからいい、と言ってやった。私が仕事のふりをしている間、彼が気を遣って音を立てないようにしていたのは、わかっていたからだ。
 幸一の本音は明日にもまた来たい、ということで、私も今日の禁断の壁を越えた熱の冷めないうちがいい、という思いがあったが、少し冷静になったか、幸一は年齢相応の常識的な遠慮をして、来週の土曜日、いいですか、と提案してきたので、私は笑顔で、歓迎だよ、何時でもいいよ、とこたえた。
 しかしうれしいことに、幸一の辛抱は土曜日までもたなかった。木曜日の夕方にチャイムが鳴った時、私は幸一だと確信して急いで玄関に走った。中に入れドアを閉めてすぐにぎゅっと抱いてやった。
 だが平日の夜間は短い。私はその日は当たり前に遊んだだけで彼を帰した。じらしになったかどうかは……そこまで計算したわけではない。
 土曜日には、寝そべってマンガを読む幸一に私は覆い被さり、くすぐってやった。幸一は「やめてよおじさん」と無邪気に笑いながら言って、くすぐり返してきた。こんなスキンシップを、彼は十分には経てこなかっただろう。幸一から、少しずつ固すぎる敬語が消えていったのはこのぐらいからだ。幸一と私は抱き合って絨毯の上をごろごろ転がった。幸一側から私に抱きついてきたのも、この時が初めてだった。向かい合わせで、私は幸一をぎゅっと抱きしめ、尻の軟らかい肉を存分に、性的に揉みしだいてやった。私の性器が勃起しているのにも、今日は幸一は気づいたはずだ。そして幸一も勃起している。
 ある一線を越えてしまえば、あとはかなりまで自然な流れで行ける。幸一はそんな日を待望していたかのように、私との行為にずぶずぶと溺れた。そんな幸一の反応は私の想定をも上回るもので、ある意味計算違いだった。

 幸一は毎日のように、平日は短い時間だが、私の家に来た。ただ八時以降となると、親に無断というわけにいかない。早いところ、「子供好きのおじさん」と「おじさんになついた我が子」を親に認知させておいた方がよい。私が両親にちゃんと言ってから遊びに来いと言うと、幸一は困った様子でうつむいてしまった。ゲームのことといい「厳格」な両親なのだろうか。私は、一緒に行って私が話してあげる、と幸一を説得した。

「まあ、この子は先生のお仕事の邪魔をして」
 と銀行員にしては派手な感じの幸一の母親は大げさに言う。私は鼻を鳴らしたい気分になったがこらえて、こちらもしっかりとよい隣人を演じてやることにする。
「私が呼んだんですよ。幸一君は賢いお子さんですね。勝手ながら本を貸したりもしました。家事の手伝いまでしてくれるのですよ。よくできたお子さんです。長い一人暮らしですが、妻が生きていれば、幸一君ぐらいの子がいてもおかしくない私です。一人暮らしはさびしくてね。賑やかになってありがたい。代わりにと言っては何ですが、遊んでばかりではなく勉強も少しは見させてもらおうかと思います。ご迷惑でしょうか?」
 私には妻などいたためしもない。無論実子もない。だが口から出まかせはもはや板についた私の特技だ。本性をひた隠しにしないとこの世に身の置き場のない私だからな。
 母親は大喜びだった。彼女は私と親しくなりたがっている。私というより、知的な文化人の看板と、か。作り笑いで「今度お食事でもご一緒にいかがですか」などと言い出す。私はそれに適当に返事をし、幸一の背中に手を添えて、私の家に招き入れた。ドアを閉めてすぐに、「いくら稼ぎがよくてもろくに料理もしないで外で食事ばかりするのは、いい母親とは言えないね」と、渋い表情を作って幸一を見た。幸一も笑ったような困ったような顔で、私を見返した。幸一が母親によい感情を持っていないのはわかっていた。その気持ちも共有しようじゃないか。それに肉親の支えなどあてにしない、できない子の方が、私は御しやすい。

 初めて幸一を部屋に招き入れた日から、二ヶ月ほどが過ぎた。梅雨が明けた。

 私と幸一は私の家で遊んだり、禁断の行いを行うばかりではなく、様々に交流を深めた。春の気候のいいうちは、近所をよく散歩した。左足の不自由な私は、本当は今は杖はお守り程度のもので、杖なしでも歩くくらいはできるのだけど、幸一に杖を持たせ、私は幸一の手を握り並んで歩いたりした。手を繋いで二人で歩くところは、仲睦まじい親子にも見えただろうか。戸外では禁断の行為はもちろん、年齢不相応な過度なスキンシップ(傍点)もしない。寝転んで抱き合ったり、膝の上に抱いたりは。それは二人だけの秘め事なのだ。
 休日の午前中、二人で弁当を作って、私のステーションワゴンで大きな森林公園に出かけたこともある。幸一は不器用ななりに料理のレパートリーを増やしていて、私とともにしばしば料理を楽しんだ。こんな私との疑似親子のような関係は、幸一にはかけがえのないものになっていた。
 二人で弁当を食べている時、幸一が不自然にうつむいて元気がないのに気づいた。子供は感情を隠すのが大人ほどうまくはないものだ。本当は幸一は子供らしい子供だった。ことに私の前では幼すぎるほどに。
 私がどうかしたのかと訊ねても彼がますますうつむいて答えないので、迷ったが(もう何かを焦る必要のない二人の関係ではあった)、殺し文句で少し突っ込んでみることにした。
「せっかく仲良くなったのに内緒にされると悲しいな」と私は言った。
 涙ぐんだような幸一の目が泳いで、私は何か胸が締めつけられるような感覚を味わった。私らしくない。それでも私は続けた。
「どうしても言えないことなら、いいけれど」
 突き放すようなその言葉の調子に、幸一は動揺を隠せず、それでもすぐに表情を引き締めて私を見て、そして話し始めた。 小学一年生の、初めての遠足の時だった。遠足だから弁当がいる。驚いたことに幸一の母親は夕食すら自分の手で料理しないのだという。弁当など作ってもらえるはずがないと幸一は思った。だが弁当なしというわけにはいかない。空腹はもちろんだが、周囲から目立つのを、幸一は何よりもおそれた。だから思い切って母親に頼んでみたら、「そんなのわざわざ言わなくても、ちゃんと作ってあげるわよ」とあまり見たことのない笑顔で言うので、幸一は一安心した、のだが……。
 当日、弁当箱を、不安に思いながら開けたら、まっとうなおいしそうなお弁当だった。卵焼きもウインナーも入っていて、友達もうらやましがった。ところが、おにぎりをかじったら、じゃりっという嫌な音と歯触りがした。おにぎりにはたくさん砂が混ぜてあったのだ。幸一はみんなの見ている前で泣きそうになり、あわててお弁当を持って、木陰に隠れて、仲間の目につかないところで涙が止まるのを待って、おにぎりを全部捨ててみんなのところに戻った。それからおかずだけを、友達と交換した。おにぎりもおいしそうだったのに食べるの早いなあなどと言われ、彼は泣いたのが周囲にばれなくててほっとしたという。
 そのことがあってから、幸一は弁当のいる日は早く起きてコンビニに行き、弁当を買って、その中身を家の弁当箱に移し替えて持っていくことにしているのだそうだ。

 私は聞いているうちに強い不快感と、そして怒りが抑えきれなくなっていた。
 左様、私は悪人だが、多くの人は悪人について多少誤解がある。私は一般倫理に照らして悪とされる行為をいくつも行ってきたし、これからも行うつもりだが、その一般倫理に照らしての悪全てを行うものではない。私が不快に思ったり忌み嫌う悪行もあるのだ。私は正義の人ではないので、それらを罰する資格はないだろうけれど。

 私は真剣に怒り、真剣に幸一に同情した。
 私は幸一をそっと抱きよせ、顔を彼の顔のそばに寄せて、
「これからは、あんまりひどいことをされたら、おじさんに言うんだぞ」
 と小さな声で穏やかに言った。
「おじさんが頭を使って、そういうこと、できないようにしてあげるから」
 ともつけ加えた。幸一は涙に潤んだような目で私を見て、笑った。そうだ。彼を傷つける者は私だけでいい。幸一は私のものだ。

 幸一の母親の親としての振る舞いは、弁当の件だけとっても異常の領域だった。私は幸一とあの両親は血が繋がっていないのではないかと考えた。実子でも虐待されるケースはいくらでもあるが、経済的に裕福な部類の家庭としては、やはり常軌を逸している。幸一は「本当のお母さんじゃない」ということはすぐに認めたが、詳しい事情を話したがらなかった。それもえらく頑なだった。
「言ったらおじさんは僕を嫌いになると思うから、絶対言えない」などと言う。
 私は「そんなことはない。約束するよ」と優しく言ったが、それでも、というより珍しくその言葉につっかかるように、幸一は「どんなことを言うかわからないのに、どうしてそんな約束できるの?」と強く反発した。
 私は幸一の横に座り、頭を撫でながら言った。
「幸一がどんな子かは、幸一の顔とか表情とか、言葉とか、態度や振る舞いにに、いっぱい出ていて、私はそれを感じ取れる。私だけの力じゃなく、人に強く興味をもって、一緒にしゃべったり遊んだりして楽しく過ごせば、誰にだって感じ取れる。もちろん全部じゃない。幸一だって私のことをいろいろ感じ取っているだろう? 私がどんな生き方をしてきたかなんて、一言もしゃべったことはないのに、毎日のように遊びにくるのは、なぜだい? 私が誘うから嫌々か?」
 幸一は慌てて首を振った。
「ううん。ぼくが行きたいって思うから行くの。おじさんといると楽しいから。ぼく、おじさんが好きだから」
 好きだから、という直接的な言葉を聞いたのは、これが初めてだ。私は……私は人を愛せないし、彼にそんな言葉を聞かせる気はない。これから作っていこうとする二人の関係と矛盾する。
 私は幸一を抱きよせた。
「おじさんも幸一がお気に入りだ。かわいいよ。自分の子供にしたいくらいだ」
 幸一は信じられない、という面持ちで私を見た。幸一は本当は誰かに愛されるに値するのだ。私である必要はなかったはずなのだ。
「これまで遊んだりしゃべったりしながら、感じてきたことで十分だ。幸一の本当のお母さんやお父さんがどんな人であろうと、もしかして幸一が昔に悪いことをたくさんしてきたとしても――まあそんなことはないだろうけどね――私の幸一への気持ちは変わらない自信がある。だから約束できるのさ」

 幸一が意を決して私に話した内容は、私の想像を超えて壮絶なものだった。

 幸一の本当の父親が誰なのかは、本当にわからないという。本当の母親らしき人の記憶はある。記憶のある限りの幼い頃からは、一緒にいた女性は一人しかいない。しかし父親代わりの男はしじゅう入れ替わった。男が全くいない時期もあった。

 幸一が五歳の頃、その頃半年ばかり一緒のアパートに暮らした男に、彼の母親は殺された。

 いつも母親が男と裸で抱き合って、苦しそうな声を出すのを見るのが嫌で、男も幸一の存在を疎んじたので、彼はそういう時大概、戸外に出た。冬でも夜でも外で、「行為」が終わるのを待つ。
 だがその日は台風が来ていて、荒れ模様の中とても戸外にいられず、幸一は押し入れに隠れて、母と男の声が静かになるのを、息を殺して待っていた。だがいつもと違う母の大きな高い声が聞こえ、幸一自身正確に言葉を覚えていないが、「助けて」とか「やめて」というようなことを言い、さらに「幸一!」と彼の名前を呼んだ。
 幸一が押し入れから飛び出すと、全裸の母親は布団の上で手足を縛られており、上に馬乗りになったやはり裸の男にぎゅうぎゅう首を絞められていた。おそらく幸一が飛び出した時はもう、彼の母親は死んでいて、押し入れの中で聞いた「幸一!」という叫びが、彼女の最後の言葉だった。
 しばらく母親の首を絞め続けていた男は、ただ茫然と立ちつくす幸一を突き飛ばして、嵐の夜の暗闇の中に消えていった。

 幸一は泣くこともせすただぼうっとしばらくは立ちつくし、死んだ母親の横で眠った。目が覚めたら布団が汚れて異臭も強く、もう母親に近寄れなかった。外に出て行く当てもなくふらふらと歩き、空腹と疲労の中いい匂いのするパン屋に引きこまれるように一人で入った。そしてそこで彼は動けなくなった。

 幸一は病院に連れて行かれ、そのあと親戚に引き取られた。一度も会ったことない人たちだった。
 当時五歳の幸一は、最初死んだ母親よりちょっと歳上くらいの夫婦のところ、それから年配の夫婦のところ、三つ目は母親と同じくらいの歳に見える夫婦のところに、行くことになった。どこでも彼は歓迎されなかった。おそらくそれぞれ二ヶ月もいなかったという。

 幸一は、突然五歳の歓迎しない子を養育するはめになった親族たちの空気を、敏感に感じ取っていた。自らをとりまく、彼自身には決して責任のない忌まわしい空気も。
 彼の母の死。それはもともと暴力的な男との関係の悪化によるのか、今の幸一には決してわからないであろう、SM的遊戯のエスカレートの果てなのか、私にも判断できない。だが気の毒ながら、赤ん坊ならまだしも、そんな来歴を持った五歳の少年をいきなり引き取るはめになっても、相当困惑するのが普通だろうとは思う。

 最初の二つの家では、「食事もくれて、お布団もあった」などと言う。幼稚園には行けなかったけれど、男の暴力に怯える、貧しい母との暮らしより、いいかもしれないと思うこともあったと。
 しかしやはり金銭的な事情やらで、どこにも長くはいられなかった。三つ目の家はひどく、食事は一日一回もらえればいい方、布団も着替えも与えられず、風呂にも入れなかった。廊下の、階段の下の、なるべく寒くないところで雑魚寝していた。だが冬になり寒さと空腹にたえられなくなった彼は、また外をふらつき、スーパーの総菜コーナーの前で立っているところを保護された。たぶん自分は、ぼろぼろの服を着て、においもひどくて乞食のようだったのだろうと彼は言う。私は想像を超えた痛ましさに言葉を失った。それでも私のこれからの計画の、方向性そのものを変える気はなかったが。

 幸一は養護施設に入ることになった。食事と寝床とストーブがあるだけまし、とは思ったが、他はいやなことばかりだったという。人に暴力をふるったり、いやがらせをする子の心理は、彼には理解はできたけれど、もちろん被害者になるのは願い下げだった。
 この頃から彼は、自分をできるだけ目立たなく、いわば「透明な存在」に近づけようとするようになった。そうすれば誰にも傷つけられず、誰も傷つけずに済む。自分の呪われた過去を知られたら、すなわち本気で「腹を割って」人と関わったら、人は自分を嫌うだろう、と幸一は考えた。

 今の「父母」が幸一を引き取った理由は、彼には未だによくわからないようだ。過去を知った上か、いや、知っていたらまず引き取らないだろうから、知らなかったのだろう、と。引き取られた時から、ケンカはしないがほとんど一緒にいることのない、結婚した意味がよくわからない夫婦だったという。
 今の母親は食事も作ってくれないし、小遣いもくれない。服は買ってくれるが、サイズが合ったのを勝手に買ってきてくれるだけで、買い物に連れて行ってもらったことはない。おもちゃも買ってもらっていない。誕生日やクリスマスのプレゼントもない。洗濯は全部、クリーニング屋に出す。自分の部屋と風呂の掃除は幸一の役で、あとの部屋の掃除は、家政婦が土日以外の一日一時間ほどだけ来て、やっていくらしい。

 これでは彼が、誰に対しても心を閉ざすようになったのも当たり前だ。今も生きていくための衣食住はあっても、彼には愛も庇護も不足している。不足しているどころか、かけがえのない存在として愛された記憶などまるでないような、そんな運命だった。

 幸一は話し終えると私の顔を不安げに見上げていた。私は衝動的に彼をがっしり抱きしめた。彼が痛がるほどに。でも彼は痛いとかやめてとかいわず、自らも私の背中に手を回してくる。
「僕、おじさんの子だったらよかったのに」
 幸一は言った。この言葉はもちろん私にはうれしい。でも誰にでも言える意味のうれしさで、そう思えない私が、今少し恨めしい。私は幸一の背中に回した手で、今度はやさしく彼を撫でた。
「私は、どうしても欲しいと思ったものは、どんなことをしてでも、手に入れようとする。そういう人間だ。これまで本当に欲しいと思ったものは、だいたい、手に入れてきたよ」
 私は幸一を「自分の子供にしたい」とも言った。私の強い言葉は、幸一をほんの少し不安にさせたらしい。その不安は正しかった。でも彼はすぐに緊張を解き、私の腕に身を委ねた。幸福そうに。

 その日は後は、マンガやテレビの話をしたり、ゴムのボールで遊んだりした。私は足が悪いから、同じ場所で投げて、幸一ができるだけ正確に投げ返して、もし外れたら彼がボールを拾いに行く。

 その日の別れ際、私は、
「今度お弁当がいる時は、私の家で一緒に作ろうな」と言ってやった。幸一の元気のいい返事と、笑顔が返ってきた。

 私と一緒にいる限り、悲しみすら私が与えるものであるべきだ。醜い仮面夫婦の父母のことなど忘れてしまえ。

  †

 思いがけず私は、私自身のことを少しずつだが幸一に話した。これまで何人もの少年と関わったが、そんなことはまずなかった。人は誰に対しても同じ態度を取ることはなく、それぞれに合わせた仮面を被り直すものと思う。私は少年には少年向けの仮面を被ってきた。素顔を見せるなどあり得ないし、そんな必要はなかった。むしろマイナスになるだけだ。

 私の左足は、また赤ん坊の頃の高熱の病によって麻痺して、動かなくなった。厳密には、左半身の感覚と運動能力が損なわれた。だがリハビリによって、足以外はほぼ回復したし、中学生ぐらいまでは本当に必要だった杖も、今はなくても歩くことはできる。だが全力で走るなどという経験は一度もないし、今後もそんな機会はないだろう。
 差別やいじめもあった。だが私はいやがらせをするような輩を絶対に許さなかったし、そういう連中を必ず後悔させた。足が動かないくらいで無力だと思ったら大間違いだ。私の逆襲は執拗で徹底していた。幸一には私は、「いじめなどに負けなかった」と抽象的な言い回しで格好をつけておいた。
 家では幸一に足を見せてやった。暑くなってくると、幸一は元々半ズボンだが、私も家では短パンになった。
 足の太さが左右でちょっと違う。長さもわずかに違う。だから動きが悪いだけではなくぎくしゃくした歩き方になる。私の小学校時代は、孤独だった。幸一とは違う意味で。私は人を寄せ付けず、一人黙々とリハビリを続けた。廊下を壁伝いに、行ったり来たり、繰り返し歩いた。いつか私は力関係の介在しない親密な人間関係とやらを、うまく取れない人間になっていた。人と戦うことはできても、人を愛せない。中学に上がるか上がらないかの頃に、自分の少年愛的嗜好に気づいたが、対等な恋愛関係を築いたことはただの一度もない。

 認めなくてはならない。私はいつの間にか幸一を愛していたのかもしれないと。でもその愛は、いびつな形を取らざるを得なかった。私という人間は変わりようがなかった。


Next→