ため息模様    〜Time Lag 番外〜


 パラパラと名簿を捲っていた永木の手がふと、止まる。
「え?」
 目にしたデータが記憶違いだったことを認識して、もう一度、名簿をじっ、と見た。
『瀬川 利明
 東京都○×区△□3−5−1001 197× 2月21日生 ○×大学卒……』 
 てっきり同い年だと思っていた。
 同期で入庁していたのは間違いない。
 誕生日も本人から聞いていたし…。
 けれど。
 年上だとは知らなかった。
 どうして自分に、あんなにつっかかってきて、偉そうにしたがるのだろう、と思っていたら。

 潜在的な理由は1つある。
 金子の件だ。
  ……にしても、腑に落ちない部分も多かった。
 根源はここか、と永木は小さく吐息をついた。
 学年にすると1つ年上、という事になるのだ。
 永木は大学卒業後ストレートに就職したので、利明には留年か浪人の経験がある、と考えるのが妥当だろう。

 恋人同士と呼べる関係になった、と永木自身が思い始めている今も、利明は未だに本意でない素振りを良く見せるし、永木がちょっと口にした冗談でも機嫌を損なうことが多い。
 仕切られるのがイヤ、と言う訳ではないらしい。
 今、思いつく限りでは、年上である相手に言うべきでない事や、礼節を欠いた振舞いをした時に、彼は機嫌を悪くするようだ。 

 いや、多分……それが原因だ。

 利明の不機嫌要素の意外な浮上に、永木は納得した。
 同時に、ちょっと焦りも覚える。
 惚れ込んでいるのが自分だと言うだけでも不利なのに、今までこれに気付かず、無意識に利明に不愉快な想いをさせていたのでは、と思うだけで、堪らなくなってしまう。
 職場の上司なぞは屁とも思わぬ傲慢さを持つくせに。
 惚れた相手には弱いのが、この永木の意外な可愛気なのであるが…。
 ソコは利明に感じて頂きたいのであって。
 他人には余り感じていただかなくても結構、と言うのが永木の言い分なのである。


 週末、デートしようぜ、と街中に利明を引っ張り出し、映画の後でいつも足を運ぶドトールに腰を落ち着けた。
 行き着けの喫茶店は満員だったし、利明はドトールのアイスコーヒーが好きらしいので、何となく、つい、入ることが増えた。
 一度スターバックスに入ろうとしたら帰る、と言われ、意外に拘りのあるらしい事を知った。
 職場ではお茶の類を良く飲んでいるし、珈琲が好きでないのかと思っていた、と聞けば。
 恥ずかしそうに、余り胃が丈夫じゃないから、休日に飲むようにしているのだと応えた。
 別にスタバが悪いのではないが、スタンド系ではドトールの方が好きなのだ、と言う。
 利明の話を聞くと、味もあるが、主には店の雰囲気を言っているのが解った。
 折角の週末だから、せわしない雰囲気がイヤだと言うのはよくわかる。
 あくまで喫茶店の雰囲気を離れていない、そして年輩者も入るスタンドが好きらしい。
 年輩者が入ると言うことは、その店にある程度の秩序性が保たれる指標にもなる。
   若者の多いスタバでは思わぬ不快感を蒙る事も多いから、利明の意見は尤もだ。
  ……となれば、矢張りドトールに軍配が上がることになる。
 永木もそれには同意できたので、以来、好みの喫茶店が満員ならドトールに腰を落ちつける事が多くなった。
 ここのミラノサンドは、永木も好物だから小腹の空く映画のあとは軽食も摂れて丁度良い。
 場所と時間的なものもあるかもしれないが。
 行った時は大抵8割程度の入りで混雑していないこの、ドトールは利明とのデートコースの1つに、定着しつつあった。

 互いにマニアックでない程度に映画が好きだと言う、共通の趣味があるのも、ありがたい。
 CGを散々駆使し、巨額を投じて話題作になっている映画の感想をチラホラと交わしつつゆったりとした時間を楽しんでいた時。
 永木感じるところの幸せな甘い雰囲気を打ち壊す輩が現れた。

「なぁ、…ひょっとしてトシとちゃう?」
 甘い、そしてゆったりとしたテンポのテノールがカウンターを背にして座っている利明の顔を覗き込むようにして割り込んできた。
 アッシュ系の綺麗な色に染められた短い髪に、右耳には3つの色違いのリングピアス。
 昨今流行の石の類だろう、うすい緑、水晶と、水色のとろりとしたキレイな風合いのものを3つ、ぞろり、とつけている。
 左手首には竜を模した繊細な銀の腕輪。
 よく手入れされているらしい、整った細めの眉の下にハッキリとした二重の瞳。
 薄い茶色の瞳にすっきりとした鼻梁、厚目の唇で、身長はザッと180に届くか届かないか。
 サラッとした青みの強い水色の極細の糸を使ったオックスフォード生地の綿シャツ。
 それにベージュ地の蛇柄のタイトなベルボトム、と言うかなり目を引く、華やかな雰囲気の男が利明の肩を軽く叩く。
 仄かに香るフィジーが暑めの見た目に反して爽やかで、かなり良い男の部類だ。
 身に付けているものもブランドこそわからないが、質の高いものだ。

 店内の女性の視線が一斉に、このテーブルに集まった。
 男三人、それぞれに特徴のある美形が揃えば自然なことだろう。

      あ、コイツ。
 男の気障とも言える風貌に永木は既視感を覚える。
      確か以前、利明が男連れで出てきたラブホテルの前で出くわしたときに。
 横にいた男ではないだろうか?
「え…あれ? 松田? トール?」
 
     矢張りそうだ。
 懐かしそうに目を細め、パッと顔色が明るくなるのを、永木は複雑な思いで見つめた。
「そや、元気やったか? 1年振りかな? オレ、又仕事でちっとないだこっち来ててん」
 柔らかい関西訛りで永木にチラ、と会釈を送りつつ如才なく自己紹介を始める。
「こんちわ。職場の人? オレ、トシと専学同期やった松田言います。実家は関西で呉服屋やってますねやけど、ちょっと用事でこっち来ましてん。なつかしなって声かけてしもて」
 くだけた見かけの割りに随分礼儀正しい挨拶を受けては、さすがの永木も毒が出せない。
 こう言うとき、スローな関西弁のテンポは相手を警戒させない。
「そや、職場の同期なんや、なん、自分、またこっちきてんのなら連絡しぃ。メシでも食おか?」
  ごく自然に関西訛りと、円滑な社交辞令が出た利明に、永木はまた驚く。

  ……確か利明は…出身は関西だったような気がしたからだ。
 それに、つい、自分に対する態度で忘れがちだが、もともと、利明は愛想が悪くはないのだ。
「せわしいんちゃうか思て連絡しいひんかったけど…そやな。連絡するし。良かったらそちらサンも又紹介してや、電話変わってへんねやろ? ほなまたな。お友達も、おジャマさんどした」
 愛嬌のある笑みを見せ、利明の肩を二つ軽くポンポン、と叩いて、身を翻す。
 優美なほどの邂逅を済ませ、男はしなやかな歩き姿で立ち去った。
 絵に描いたような動作、とはああ言うものなのだろうか。

 少し松田の背を見送って、永木の顔を振り返った利明は噴き出した。
「なに、幽霊でも見たような顔して?」
  ……もう、言葉は自然と関東のイントネーションになっている。
 何となく恋人に近くなってきた、と思い込んでいた自分が腹立たしくて永木は目の前のコーヒーをズズッ、と啜った。

「……関西弁なんか…初めて聞いたからさ…それに…アイツ…渋谷で一緒だったよな…」
 余裕のなさが辛い。
……と、足元に違和感を覚えた。
 利明の足が、そっ、と膝を触れ合わせてきていた。
「……出身は京都だけど…生活はこっちの方が長いし…それにアイツとは…1回だけだったし」
 染み入るようなテノールと膝から伝わる利明の体温に、永木はゾクリ、とする。
「年上だって気付くのも…遅かったし」
 小さく漏らすと利明は軽く目を見開いた。
「うん、大学出たときに就職が上手く行かなくて…気晴らしにあいつの居る京都の公務員の専門学校に行った。その時に知り合ってね。親戚の友達ってんで紹介してもらって友達付き合いの方が長いんだよ。…渋谷で会ったときはあいつも片想いとかで…そう言う感じになったけど。でもそれっきりだから。…今は両想いになれたみたい。だから今はいい友達だと思ってる。だから…永木さんも一緒にメシって話したでしょ?」
 余り言いたいことでもないだろうに、ぼつぼつ、と話してくれるのが、嬉しい。
「……オレ、会わせてもいいわけ?」
 それでも拗ねたような口調になるのは仕方がないのだが、年下、と言うのが……。
 随分不利なように思えて…けれど甘えるような口調になる自分をどうしようもなくて。

 利明の好みは年上らしい、と言うのは何となく察していた。
 金子にしてもそうだし、今会った男も、随分落ち着いてオトナっぽい。
 映画俳優の好みを聞いても…矢張り老成したオトナの男を好むようだ。
 今までコンプレックスとは殆ど無縁できた自分が、馬鹿のように思えてならない。
「関西人にメシ食おうかって言うのは社交辞令だから。まぁ、もし連絡してきたら、一緒に来てくれる?」
 さらり、と流すように言ってくれたのに少し安心して、永木は黙って頷いた。


「……っあ! ふ…っ…あ! ながき…さ…」
 部屋の中に漏れる甘い吐息と少し早めの呼吸の中で、利明の声が上ずる。
「……名前…よんで」
 永木の言葉に、息を弾ませながら利明は応える。
「…わた…る…わたる! あっ! ぁ!」
 消え入りそうなあえかな悲鳴を残し、利明が頂点へとのぼりつめ。
「とし…あき…っ!」
 絞り出すような声で何度も想い人の名を呼びながら、永木も快楽を極めた。


 チリ、と煙草に火を点けた永木の横で、ぐったりと利明は横たわっている。
 永木にとって、2R目の後では、暫く腰が立たないかもしれない。
 週末初日の夜更け、いつもの光景に、少しばかりの幸福を感じ、永木は目を細め、深々と煙を肺に落としこむ。
……と、電話のベルが鳴った。
 今日は利明の家に来ていた。
 10秒ほどで留守電に切り替わり、相手の声が微かに聞こえた。

「トシ? トールです、ホンマに電話変えてへんねやな? オレの彼に今日のこと話したらトシと…今日、一緒にいたん、彼氏やろ? 一緒にメシどやって言わはんねん。もしトシがイヤやなかったら……せやな、おまえ役所やし、来週日曜とかどない? また都合ええ 時間連絡してくれるか? こっちは自営やから合わせるし。久しぶりで嬉しかったわ。 それと…彼氏えらい男前やな。オレのこと、凄い目ぇで見てはった、愛されてんねやな、大事にしいや。ほな、お邪魔さん、連絡待ってるし」 
 昼、聞いたよりは幾分早めのスピードでなだらかに、そして無駄なく必要な用件をおさめてしまう辺り、随分頭のいい男だ、と、永木は感じた。
 そして、自分が思わず嫉妬を剥き出しにして相手を見ていたのを観察されていたのに舌を巻いた。
 悔しい、と言うよりは驚きのほうが大きい。

 あの僅かな時間でしっかりと利明と自分の関係まで見定めてしまう眼力。
 そして…自分に必要以上の不快感と警戒心を持たせない、その余裕に、舌打ちを禁じ得ない。
……年齢はこの際抜きとしても、自分に足りないものをまざまざと見せ付けられる。
 恋愛は惚れた方が負けなのだ。
 別にそれはいいけれど…自分のコンプレックスと向かい合うのは、正直辛い。

「ごめん…ヤだったら…断るから」
 気だるげに半身を起こし、永木を見やる利明に、軽く苦笑を落とす。
「や、違うって。なんか…こー……格が違うよなって思ってさ」
 珍しく気弱な発言をするのに、利明は目を丸くした。
「…そうだね、今日、オレも少しビックリしてたんだ。呉服屋を継いだとは聞いてたけど、オレが知ってるトールはもっとヤンチャだったし…。色々成長したのかもしれない。 とにかくハンパじゃないくらい老舗の呉服屋だから…アソコの若旦那やってるんなら変身ぶりも納得できるけどね…オレは却っておかしかったけど」
 小さく苦笑を浮かべて、利明の髪をすく永木の指に目を閉じる。
「あんたがヤじゃなけりゃ、オレは、メシの話、いいよ」
 永木の応えに利明はゆっくりと身を起こし、そっ、と背中を預ける。
「……それよか…彼氏って言われても…いいのか?」
 さすがに口に出すのをためらって、それでも…どうしても聞いてみたくて。
 おそるおそる聞いた問いの応えは…長い沈黙で…。

  ……矢張り…ダメか、と肩を落としたとき、利明の指が首筋に触れた。

「……いいよ」
 かすかに聞こえた答えのあとに。
 そっ、と頬に唇が触れる。
 わずかに感じる利明の体温に、永木は長い長い吐息を落とした。
 意識してから2年。
 口説き始めて半年。
 漸く落ちてきた答えに、胸がじわっと熱くなる。

 けれども……矢張りこれからが正念場だろう。
 緊張と安堵が入り乱れて、落ち着かない気分になる。
……だけど、今だけは、束の間の幸せに浸りたい。
 ため息は幸せなときに漏らすこともあるのだ、と、今、わかった。


 明け烏がガア! と一声を鳴く。
 晩夏の夜明け、薄青いもやの中、永木は幸せの笑みを顔に溜め、眠りについた。


 ……側に伏した、恋人と指をからめて。               

END


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